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NBA

“首絞め事件”による転落からニックスでの栄光、そして終焉。波乱に満ちたスプリーウェルのキャリア【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.07.07

“首絞め事件”で選手生命の危機に晒されたスプリーウェルだったが、ニックスに拾われ“ミラクル”の立役者に。(C)Getty Images

“首絞め事件”で選手生命の危機に晒されたスプリーウェルだったが、ニックスに拾われ“ミラクル”の立役者に。(C)Getty Images

■ヘッドコーチの首を絞めるという愚行でチームを追われる

 問題行動が目立ち始めていたラトレル・スプリーウェルだったが、コート上では素晴らしい成長を見せ続けていた。1996−97シーズンには自己最多の平均24.2点(リーグ5位)、6.3アシストをマークし、3度目の出場となったオールスターではウエスタン・カンファレンス最多の19得点を奪取。確執があったドン・ネルソン・ヘッドコーチ(HC)やティム・ハーダウェイもこの頃にはチームを去っており、ゴールデンステイト・ウォリアーズは事実上彼のチームとなっていた。

 そんなスプリーウェルの運命は、1997年に大きな転機を迎える。この年から、ウォリアーズの指揮官にはPJ・カーリシモが就任していた。選手に対して厳しく、激しい言葉で怒鳴りつけるのが常だった鬼軍曹と、繊細で感情的なスプリーウェルはまさに水と油。練習の欠席や遅刻を繰り返し、公然とコーチの批判を口にしていた彼とカーリシモが衝突するのは時間の問題だった。
 
 12月1日の練習中も、カーリシモは例によって選手たちを怒鳴り散らし、スプリーウェルにも「もっとしっかりパスをしろ」と文句をつけた。対するスプリーウェルも「今日はそんなことを聞きたい気分じゃない」と吐き捨てる。彼に詰め寄ろうとするカーリシモ。「近づくな!」と叫ぶスプリーウェル。それでもなおカーリシモが近寄ってきた時、スプリーウェルの頭の中で何かが弾け飛んだ。「ぶっ殺す!」と唸り声をあげながら、気がつけば彼は両手でカーリシモの首を絞め上げていた。

 チームメイトたちが必死に止めて、引き離されたカーリシモは一旦引き上げた。だが、20分後に再び練習場に戻ってきた彼に、スプリーウェルは再び襲いかかった。

「首を絞めたわけじゃなく、襟首をつかんだだけだ。2度目の時も殴ってはいない」

 スプリーウェルは一連の暴行を否定したが、チームメイトは確かに彼がHCを殴ったことを証言した。

 ウォリアーズは2370万ドルも残っていたスプリーウェルの契約を解除。コンバースも契約を破棄し、当時コミッショナーだったデイビッド・スターンは無期限の出場停止処分を下した。選手会が不服を申し立てた結果、2年分の年俸は保証され、出場停止処分もシーズン終了までに軽減されたが、ウォリアーズにはもはや彼の居場所はなかった。
 

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