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MLB

険しいトミー・ジョン手術からの復活の道のり。大谷が目指すべきは“上位入賞”ではなく“完走”

出野哲也

2020.07.28

2年ぶりの復帰登板は散々な結果に終わった大谷(左)だが、トミー・ジョン手術の“先輩”であるダルビッシュ(右)も復帰1年目は全力全開とはいかなかった。(C)Getty Images

2年ぶりの復帰登板は散々な結果に終わった大谷(左)だが、トミー・ジョン手術の“先輩”であるダルビッシュ(右)も復帰1年目は全力全開とはいかなかった。(C)Getty Images

 26日現地時間、大谷翔平(エンジェルス)が693日ぶりの公式戦登板を果たしたが、3安打3四球5失点の乱調で一死も取れずに降板。2018年は最速162キロだった剛速球が、この日は最速152キロ。ヒジの負荷を減らすコンパクトな新フォームに、まだ馴染んでいないようだった。

 だが、そもそもトミー・ジョン手術(以下:TJ手術)から復帰してすぐ好成績を残すことは難しい。過去の例を振り返っても、すぐに元通りのピッチングができた者もいる一方、そうなるまでに時間を要した者、そしてかつての輝きを取り戻せないまま終わった者など、悲喜こもごもの結果になっている。

 まず、いろいろな意味で大谷に最も近い例であるダルビッシュ有(現カブス)はどうだったか。12年に渡米してレンジャーズに入団、翌13年は277奪三振でタイトルを獲得したが、15年3月にTJ手術を受けて同年は全休。16年5月28日に復帰登板を果たすも、3試合に投げた後に肩痛で1ヵ月戦列を離れ、結局この年は17試合、100.1投球回にとどまった。

 ただ、K/BB4.26は自己最高と、投球内容は故障前の水準に戻っていたし、4シームの球速も12~14年の3年間を上回っていたので、順調に回復していたとは言える。翌17年は31先発、186.2回とフル回転し、同年オフにFAとなって6年1億2600万ドルの大型契約を手にした。
 
 大谷の、メジャーデビュー直後に圧倒的なピッチングを見せ、その年すぐTJ手術……という点は、スティーブン・ストラスバーグ(ナショナルズ)とも共通している。メジャーに昇格した10年は12試合で奪三振率12.18を記録してセンセーションを巻き起こしたが、同年9月に手術。11年9月に復帰して5試合投げ、翌12年は防御率3.16、奪三振率10.79と好投するも、投球回数制限のためポストシーズンに投げさせなかったことが大きな論議を呼んだ。

 結果的にこの〝過保護〞は吉と出て、その後7年間で91勝を積み上げ、昨年のワールドシリーズでMVPに選ばれたのも記憶に新しい。大谷の場合もかなり用心して使われるはずなので、たとえ60試合制の下であっても、イニング数やそれに伴う勝利数は伸びないかもしれない。

 現在、ストラスバーグと同じナショナルズに所属するパトリック・コービンは、ダイヤモンドバックス時代の13年にオールスターに選ばれたが、14年3月にTJ手術を受けて同年は全休。15年7月に戻ってくると16試合に登板して防御率3.60とまずまずの投球を見せたが、翌年は5.15と不振に苦しむなど一進一退の状態が続いた。それでも徐々に本来の力を取り戻し、18年にサイ・ヤング賞投票5位と大活躍して完全復活を遂げた。

 手術から復帰した直後の状態に関してコービンは、「簡単にはいかない。長い間試合から離れていると、感覚を取り戻すのに苦労する」と話している。「毎日毎日、少しずつ感覚が変わるので、それを克服するには実戦の機会を重ねるしかない。最初の何試合かは速球とチェンジアップばかり投げていた」とも振り返っている。
 

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