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ドジャースで再起を図る筒香嘉智が見本にするべき苦労人2人の「シンデレラ・ストーリー」<SLUGGER>

藤原彬

2021.05.23

マンシー(左)とターナー(右)は昨季のワールドシリーズ優勝にも大きく貢献するなど今やドジャースの中心選手に。2人の存在は、筒香(中)にとっても刺激となるはずだ。(C)Getty Images

マンシー(左)とターナー(右)は昨季のワールドシリーズ優勝にも大きく貢献するなど今やドジャースの中心選手に。2人の存在は、筒香(中)にとっても刺激となるはずだ。(C)Getty Images

 ユニフォームの色を濃紺からドジャーブルーに変えて、筒香嘉智(ドジャース)がリスタートを切っている。5月19日(現地)のダイヤモンドバックス戦では4番・レフトでスタメン出場し、移籍後初ヒットと初打点を記録した。

 課題の打撃について、デーブ・ロバーツ監督は「うちのコーチ陣は欠点や修正点を分かっている」と語っていた。この言葉から、ドジャースは「打撃は改善できる」と踏んでの獲得だと伺える。

 しかも、筒香には格好の「お手本」がいる。三塁手のジャスティン・ターナーと一塁手のマックス・マンシーだ。2人とも、筒香と同じように他球団をお払い箱となりながらドジャース移籍後に再生し、今ではチームになくてはならない存在となった。

 今ではチームリーダーも務めるターナーだが、2013年オフにドジャースに加わった時は28歳のユーティリティ内野手だった。それまでは、率はそれなりに残すものの長打力に欠けた選手で、13年終了後にメッツを事実上の戦力外となってドジャースに加入した。

 だが、ターナーは13年のシーズン終盤から新たな打撃フォームに密かな手応えを得ていた。それまで、野球人生を通じて低いライナーを打つよう指導されていたが、チームメイトに紹介された新たな打法に挑戦。大きく足を上げてステップ幅を広め、前でボールを捉えることによって長打量産を狙ったフォームだった。
 当時を振り返り、ターナーは「25年間も染みついた習慣を変えるのは簡単なことじゃない」と語っているが、キャリアの瀬戸際に立たされた28歳はすべてを変える覚悟で新しいフォームに取り組んだ。オフの3ヵ月間で2万回のスウィングをこなすと、迎えた14年は109試合で打率.340を記録した。この年は7本塁打に終わったが、翌年は16本、16年は27本と本塁打数が急増。ドジャース打線の中心を担うようになったターナーは、「フライボール革命の申し子」として知られるようになった。

 今季、チーム最多の8本塁打を放っているマンシーは、技術的な変化で開花したターナーとは対照的に、新天地移籍による心境の変化が成功につながった。

 大学時代から強打で鳴らしたマンシーはプロ入り後も順調にマイナーの階段を駆け上がり、15年にアスレティックスでメジャーデビュー。だが、メジャーではなかなか思うような結果が出せず、17年開幕直前に解雇されてしまう。解雇の直前には「毎日フィールドに出ることさえつらかった」という精神状態に陥っていたマンシー。当時まだ26歳だったが、日本や韓国行きも模索しつつ、一時は引退まで考えたという。

 約1ヵ月後にマイナー契約でドジャースに拾われたが、その年はメジャー出場なし。それでもマンシーは辛抱強くチャンスを待った。翌18年の開幕直後に2年ぶりにメジャーの舞台へ上がると、いきなり35本塁打を放つ大爆発。翌年も同じく35ホーマーを記録し、リーグ有数の長距離砲へ成長した。
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