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もはや隠し球じゃない――ドラフト戦線に突然現れた“無名の155キロ右腕”柴田大地が辿った波瀾万丈すぎる球歴【後編】

矢崎良一

2021.10.08

高校から名門・日体大へ進学した柴田。彼が入った当時のチームはプロも注目する逸材の宝庫だった。写真:徳原隆元

高校から名門・日体大へ進学した柴田。彼が入った当時のチームはプロも注目する逸材の宝庫だった。写真:徳原隆元

 いよいよ目前に迫ってきた今年のプロ野球ドラフト会議。

 投手では、風間球打(ノースアジア大明桜)、小園健太(市立和歌山)、森木大智(高知)ら逸材が揃う高校生に対して、大学・社会人は、隅田知一郎(西日本工大)、廣畑敦也(三菱自動車倉敷オーシャンズ)くらいしか1位指名候補に名前が挙がらず、「不作」の声もある。そんななか、ここに来て、にわかに注目を集め始めているのが、155キロ右腕・柴田大地(日本通運)だ。

 前編に引き続き、高校時代から故障を繰り返し、なかなか表舞台に立つことのできなかった無名の投手が、いかにしてドラフト候補にまで登り詰めていったのかをレポートする。

―――◆―――◆―――

 紆余曲折を経て、日体荏原高校から日体大に入学した柴田大地。彼が在籍した時の日体大投手陣は、まさに素材の宝庫だった。

 一学年上に松本航(18年西武ドラフト1位)、東妻勇輔(18年ロッテドラフト2位)。同じ学年に、吉田大喜(19年ヤクルトドラフト2位)。一学年下には森博人(20年中日ドラフト2位)がいた。

 いずれも高校時代から注目されていた逸材ではあったが、自身もプロ野球を経験している辻孟彦投手コーチの指導を受け、もうひとまわりスケールアップしてプロに巣立っていった感がある。もちろん、プロに行っていない者の中にも、ポテンシャルの高い投手がひしめいていた。

 そんななかでも、柴田は目を引く存在だったと辻は言う。
 
 ストロングポイントである地肩の強さは飛び抜けていた。ブルペンに入ると、物凄い球を投げ、ボールの力は松本や吉田と比較しても遜色がなかった。だが、周囲を驚かせたのも束の間、入学早々に肘を痛める。そこからは、故障し、投げられるようになったら、また故障、という繰り返しだった。

 身体が柔らかく、筋力的にも高校時代より成長している。ただ、高性能のエンジンに対して、そこから生み出されるパワーをボールに伝えるための所々のパーツがまだ弱かった。強い腕の振りとしなりは、肘への負担と背中合わせ。そして高校時代から慢性化していた腰痛は、骨格的に腰の左右のバランスが悪さが原因だった。

 辻は「とにかく身体をしっかり作ってから」と、1年生の頃はトレーニングに専念させた。学年が上がるにつれ、「そろそろ戦力になるかな」という周りの期待をよそに、なかなか本格的に試合で投げるまでに至らない。

 辻もまた、取材を依頼すると、「柴田にプラスになるのなら、なんでも話しますよ」と快諾してくれた。「柴田が取り上げてもらえることが嬉しいんですよ」と言う。

「一番期待していたんです。絶対に大学で終わってほしくなかったんで」

 ここでも高校時代の指導者と同じ言葉が返ってきた。辻にとっては、柴田の大学時代の記憶は、リハビリに関するエピソードが多い。これまで教えた選手のなかで、おそらく一番話をしただろう。

 柴田は練習やトレーニングでも、集中すると、黙々と時間を掛けて、一つ一つのメニューに取り組むタイプだ。一度、昼過ぎにリハビリで筋力トレーニングをしている時、「話があるから、終わったら来て」と声を掛けて待っていた。柴田が辻の元を尋ねたのは、もう夕方のあたりが暗くなってから。「忘れてたのか?」と聞くと、「え?」と怪訝そうな顔をする。その日の決められたメニューを、当たり前のように、ひとつも飛ばすことなくきちんと“終わらせて”から来たのだ。

 また、あるシーズンのキャンプが終わった時、野球日誌を提出するように指示した。辻はキャンプ中のものを読みたかったのだが、柴田は1年生の春から書いたものを全部持ってきたという。笑いながらノートを開いてみると、ずっと手を抜くことなく、真剣に書いていたことにあらためて気付かされた。

 やるべきことを飛ばさない。はしょらない。ピッチング同様、何事にも不器用で愚直。だがそれが、柴田にとって最大の長所にもなりうると、辻は感じていた。
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