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大学野球

チームを支える“なんでも屋”。雑務の傍ら打撃投手で200球を投げる日も。青学大の敏腕学生マネージャーの素顔【大学野球の裏側コラム】

矢崎良一

2022.11.30

「自分のやれることをやるだけ」とチームのために奔走する佃(左)。関係者たちは彼を「東都で一番仕事が出来るマネージャー」と評する。写真:矢崎良一

「自分のやれることをやるだけ」とチームのために奔走する佃(左)。関係者たちは彼を「東都で一番仕事が出来るマネージャー」と評する。写真:矢崎良一

 ドラフト候補などスター選手の動向ばかりに目が行きがちな大学野球だが、取材をしていると、それぞれのチームで、マネージャーや学生コーチ、アナリストといった「裏方」の担う役割が非常に大きいことに気付く。

「良いチーム」には、「良い裏方」が必ずいる。彼らの人となりは? どんなきっかけでそのポジションに就き、どんなふうにチームに貢献しているのか? “フィールド外の戦力”に陽を当ててみた。

―――◆―――◆―――

 東都リーグの強豪・青山学院大のマネージャー佃駿太(4年生)は、自チームの公式戦終了後も、明治神宮大会の学生スタッフとして、神宮球場で大会運営の手伝いをしていた。東都代表(優勝校)の国学院大は決勝戦に勝ち進んだが、明治大に敗れ準優勝。あらためて試合を観ながら、「(青学大との)戦力の差はまったくなかった」と悔しさが込み上げたという。

 秋のリーグ戦の終盤、大学野球生活のラストが近づく中で、「自分のやれることをやるだけなので」と口にしていた。よく志願してバッピ(打撃投手)を務めた。連投で200球以上投げる日もある。良いボールを投げるために、時間が空けばランニングや筋トレで身体を作った。

 接客や事務仕事が中心になるマネージャーとしては珍しいが、「もともと部員の数が少ないし、平日は授業もあるので人手が足りない。代々、うちのマネージャーはやってきたことです」と佃は当然のように言う。取材の日もギリギリまでグラウンドに立ち、ひとしきり投げ終わった後にインタビューが始まった。

 佃は東都の連盟関係者や取材で関わった記者たちから、「東都で一番仕事が出来るマネージャー」と評判だった。まず大学や連盟との連絡やメディアからの取材依頼などへのレスポンスが早く、なおかつ丁寧。
 
「都合の悪い話ほど早く伝えるように」という安藤寧則監督からの教えを忠実に守ってきたと言う佃。「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)というビジネス用語があるが、とかく監督の権限が強い大学野球では、対外的な窓口はマネージャーであっても、重要な判断は監督に委ねるケースが多い。なかには監督の顔色を覗うあまり無駄なタイムラグを作ってしまうマネージャーも少なくない。そういう時のアクションで、マネージャー個人の処理能力だけでなく、チーム内の空気、風通しの良し悪しまでが外に伝わってしまう立場なのだ。

 上の二学年にマネージャーがいなかったため、佃は2年生でチーフマネージャー(主務)になった。人前で話すのが苦手で、初めはちょっとした連絡だけでも緊張していた。連盟の主務会でも他校の上級生の主務たちに囲まれて最初は何も言えなかった。

 たまたま国士舘大も同じ状況で同学年のチーフマネージャーが就任し、上級生には聞きにくいことも二人で相談しながら仕事を処理してきた。実直な性格だから、上級生にも同級生にも信頼された。4年生になると東都リーグの学生委員会で副委員長を任され、1部から4部まで東都22校の主務やマネージャーといった裏方を束ねる立場になった。

 そして、試合では選手と共にベンチに入りしスコアブックを記録する。スコアを付けながら、ときに立ち上がって声を出しグラウンドの選手を鼓舞する。佃は「選手と同じ熱さで試合に臨んでいるつもりですが、そこだけに集中するわけにもいかないので」と苦笑する。試合後の取材対応、日頃使わない球場の時には着替え場所やバスの配置の確認……コロナ禍もあって気を回さなくてはいけないことだらけだった。
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