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MLB

不正投球を“エンタメ”に昇華させたゲイロード・ペリー。殿堂入りも果たした名投手と薬物疑惑に揺れ続けるバリー・ボンズの「違い」<SLUGGER>

出野哲也

2022.12.06

12月1日に84歳で亡くなったペリーはボールにワセリンなどを付着させて変化させる“スピットボール”の名手だった。(C)Getty Images

12月1日に84歳で亡くなったペリーはボールにワセリンなどを付着させて変化させる“スピットボール”の名手だった。(C)Getty Images

 12月1日(現地)、殿堂入りの名投手ゲイロード・ペリーが84歳で死去した。

 メジャー22年間で通算314勝を挙げ、1972年にア・リーグ、78年にはナ・リーグでサイ・ヤング賞を受賞。素晴らしい実績の持ち主であるのは間違いないが、彼にはもう一つの顔があった。ボールに唾などの異物を付けて特殊な変化を生む不正投球“スピットボール”の使い手としても有名だったのである。

 20世紀初頭に大流行したスピットボールは1920年に正式に違法とされ、例外的に使うことを認められた一部の投手も、34年までに全員引退。スピットボールは表向きメジャーから姿を消していた。

 しかし、実際には投げ続ける者が後を絶たなかった。50~60年代のヤンキースの大エースだったホワイティ・フォードや、70~80年代にドジャースで活躍したドン・サットンらもそうである。そして、アメリカではスピットボールと言えば、誰もがペリーの名を思い浮かべるくらい、両者は切っても切り離せない関係だった。

 自身の著書、その名も『私とスピッター(Me and Spitter』によれば、ペリーがスピットボールを投げ始めたのはジャイアンツ時代の64年。この年初めて2ケタ勝利を挙げると、66年に21勝、70年にはリーグ最多の23勝。通算では20勝5回、通算300勝と3500奪三振を達成した史上3人目の投手になった。
 
 自著のタイトルだけでなく、愛車のナンバープレートも「SPITTER」としていたように、ペリーは違法なボールを投げている事実を隠してはいなかった。唾以外にもあらゆる異物を付けたり、傷をつけたりして「塩、胡椒、チョコレートソース以外のものは何でも試した」と記している。

 違法なのにどうしてペリーは20年以上も平然とメジャーで投げ続けられたのか? なぜ審判はペリーの違法行為を摘発しなかったのか? 実際には、審判は何度となくペリーの“身体検査”をしていた。だが、どうしても犯行現場を押さえられなかったのだ。

 初めて退場処分を受けたのは引退間近の82年。この時も確たる証拠があったわけではない。ボールが異常な変化を見せたために「次も同じような球を投げたら退場させる」と審判が警告し、実際にそうした球を投げたためにボールを調べもせず退場させたのだった。

 となると、ペリーの“スピットボール”は、本当は違う種類の変化球だったのではないか、との疑問が生まれる。事実、インディアンス時代にバッテリーを組んでいたデーブ・ダンカンは「スピッターだと思われていたのはシンカーだった」と述べているし、ペリー自身も「スピッターのふりをしてフォークボールを投げていた」と認めている。
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