ラスベガス移転が内定したアスレティックスのオーナー、ジョン・フィッシャーの評判がよろしくない。主力選手を次々に放出してチームを弱体化させたのは、資金難の球団では常套手段だから仕方ないけれども、新球場建設問題に関しては当初から「移転ありき」の姿勢で、オークランド市当局に対する不誠実な対応を繰り返した点が非難されているのだ。
一部では「スポーツ界最悪のオーナー」との声も聞こえるが、歴史の長いメジャーリーグでは、フィッシャー以上に悪質な連中は何人もいた。ワースト5をランキング形式で紹介していこう。
▼5位 ジョージ・スタインブレナー(ヤンキース)
ヤンキースのトップに35年君臨した、最大級の名物オーナー。口を出しまくった一方で、チーム強化にも巨額の金を注ぎ込んだ点は評価できるが、こらえ性が一切なく、就任後最初の20年で20回も監督を交代させる前代未聞の混乱状態を招いた。
また、2度にわたりオーナー資格を停止されてもいる。最初は1974年、リチャード・ニクソン政権への不正献金問題により2年間。2度目は90年、確執のあったスター選手デーブ・ウィンフィールドの弱みを握るべくギャンブラーと接触して、同じく2年の処分となるはずだったが、自ら申し出て永久追放とされた。それでも2年後に許されて復帰。その後は多少カドが取れ、以前ほど揉め事を起こさなくなり、晩年は“ザ・ボス”と呼ばれ親しまれる存在にすらなった。現在も息子たちがオーナーの座にある。 ▼4位 ウィリアム・D・コックス(フィリーズ)
オーナーだった期間は43年2月から11月までの9ヵ月だけ。それほど短かったのは永久追放処分を食らったからである。当時のフィリーズはメジャー最弱球団で、43年には多額の負債を抱えたためいったんナ・リーグの管轄に置かれていた。買い手としてビル・ベックが名乗りを上げたが、メジャーから閉め出されていた黒人選手たちを加入させる計画があり、これを良しとしなかったコミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスは、ベックより買収提示額の安かったコックスを指名した。
だがコックスはバッキー・ハリス監督と衝突し、彼を解任したところ「コックスは自軍の勝敗を賭けの対象にしていた」と暴露されてしまう。メジャーにおいては絶対に許されない行為であり、「賭けたのは少額」との弁明が通るわけもなかった。
▼3位 マージ・ショット(レッズ)
「ヒトラーも最初はいいことをしていた」「黒人を雇うくらいなら猿を訓練して働かせる」「イヤリングをしている男はホモだけ」......こうした発言だけでも、ランク入りしている理由は分かるだろう。史上数人しかいない女性オーナーで、亡き夫の遺した事業を発展させ財産を築き、84年にレッズの筆頭オーナーに就任。ファンサービスには積極的だった一方、冒頭のような数々の問題発言で世を騒がせた。
また、球団経営においては極度の締まり屋で、電気代を惜しんで球団事務所のエアコンすら自由につけさせなかった。96年の開幕戦で球審が急死した際には「この大事な日にここで死ななくてもいいのに」と言い放ち大炎上。数々の暴言を繰り返して2度の資格停止処分を下され、他球団のオーナーたちの圧力もあって99年にチームを売却した。
一部では「スポーツ界最悪のオーナー」との声も聞こえるが、歴史の長いメジャーリーグでは、フィッシャー以上に悪質な連中は何人もいた。ワースト5をランキング形式で紹介していこう。
▼5位 ジョージ・スタインブレナー(ヤンキース)
ヤンキースのトップに35年君臨した、最大級の名物オーナー。口を出しまくった一方で、チーム強化にも巨額の金を注ぎ込んだ点は評価できるが、こらえ性が一切なく、就任後最初の20年で20回も監督を交代させる前代未聞の混乱状態を招いた。
また、2度にわたりオーナー資格を停止されてもいる。最初は1974年、リチャード・ニクソン政権への不正献金問題により2年間。2度目は90年、確執のあったスター選手デーブ・ウィンフィールドの弱みを握るべくギャンブラーと接触して、同じく2年の処分となるはずだったが、自ら申し出て永久追放とされた。それでも2年後に許されて復帰。その後は多少カドが取れ、以前ほど揉め事を起こさなくなり、晩年は“ザ・ボス”と呼ばれ親しまれる存在にすらなった。現在も息子たちがオーナーの座にある。 ▼4位 ウィリアム・D・コックス(フィリーズ)
オーナーだった期間は43年2月から11月までの9ヵ月だけ。それほど短かったのは永久追放処分を食らったからである。当時のフィリーズはメジャー最弱球団で、43年には多額の負債を抱えたためいったんナ・リーグの管轄に置かれていた。買い手としてビル・ベックが名乗りを上げたが、メジャーから閉め出されていた黒人選手たちを加入させる計画があり、これを良しとしなかったコミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスは、ベックより買収提示額の安かったコックスを指名した。
だがコックスはバッキー・ハリス監督と衝突し、彼を解任したところ「コックスは自軍の勝敗を賭けの対象にしていた」と暴露されてしまう。メジャーにおいては絶対に許されない行為であり、「賭けたのは少額」との弁明が通るわけもなかった。
▼3位 マージ・ショット(レッズ)
「ヒトラーも最初はいいことをしていた」「黒人を雇うくらいなら猿を訓練して働かせる」「イヤリングをしている男はホモだけ」......こうした発言だけでも、ランク入りしている理由は分かるだろう。史上数人しかいない女性オーナーで、亡き夫の遺した事業を発展させ財産を築き、84年にレッズの筆頭オーナーに就任。ファンサービスには積極的だった一方、冒頭のような数々の問題発言で世を騒がせた。
また、球団経営においては極度の締まり屋で、電気代を惜しんで球団事務所のエアコンすら自由につけさせなかった。96年の開幕戦で球審が急死した際には「この大事な日にここで死ななくてもいいのに」と言い放ち大炎上。数々の暴言を繰り返して2度の資格停止処分を下され、他球団のオーナーたちの圧力もあって99年にチームを売却した。