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MLB

松坂大輔引退表明で蘇った2007年夏ボストンの“Dice-Kフィーバー”の記憶<SLUGGER>

久保田市郎(SLUGGER編集長)

2021.07.08

07年の夏、ボストンは確かに“Dice-K”フィーバーに沸いていた。<br />
写真:滝川敏之、Getty Images、REUTERS/AFLO

07年の夏、ボストンは確かに“Dice-K”フィーバーに沸いていた。
写真:滝川敏之、Getty Images、REUTERS/AFLO

「『ダイスケは、実際には日本語でどう発音するのか、本当にDice-Kで大丈夫なのか』。地元ファンからよく訊かれた質問だ。正しいイントネーションを教えると、一生懸命それに倣って話そうとする。そこには、他国の文化へのうわべだけでない敬意がしっかりあった」

 こうした中で松坂は7月3日、デビルレイズ(現レイズ)戦のマウンドに立った。アメリカの球場では珍しく、張り詰めた緊張感に覆われることもあるフェンウェイだが、この日はチームが好調だったせいか、独立記念日直前のお祭りムードのせいか、あるいは夏晴れの美しい天気のせいか、やけに和やかな雰囲気が漂っていたことが記憶に残っている。

 その夜、松坂は素晴らしい投球を見せた。8回を投げて4安打1四球、9三振を奪って無失点。8回表、2アウトから岩村明憲を見逃し三振に仕留めてマウンドを降りる松坂にファンが送った大歓声に鳥肌が立ったのをよく覚えている。「自信が確信に変わった」わけではないが、この時僕は、松坂が今後さらなる飛躍を遂げ、いずれレッドソックスのエースとして君臨するだろうと感じた。
 だが、そうはならなかった。07年の後半戦は調子を落とし、シーズン通算で15勝を挙げたとはいえ防御率は4点台半ば。日本人初のワールドシリーズ勝利を記録して世界一も味わったが、本来の投球内容ではなかった。翌年は18勝をマークした一方で四球が多く、短いイニングで降板する試合が目立ったため、地元メディアの評価は芳しくなかった。

 09年以降は故障の連続で、いつしか松坂の契約は「失敗」と見なされるようになった。レッドソックスでの最終年となった12年の成績は11試合で1勝7敗、防御率8.28。入団時の熱狂が嘘のように、松坂は寂しくボストンを去っていった。

 本人がどう思っているかは分からない。だが僕は今でも、あの7月3日の夜が「メジャーリーガー松坂」の頂点だったと思っている。そして、自分がその場に立ち会えたことを幸運に感じている。

 輝かしい松坂のキャリアの中で、MLB時代は“黒歴史”とまでは言わないまでも、ポジティブに語られることはあまりない。だが、そんな中にも輝いた瞬間が確かにあったこと、ボストンのファンと結びついた瞬間があったことは忘れないでいようと思う。

文●久保田市郎(SLUGGER編集長)
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