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MLB

大物FA獲得にA-RODの復帰、松井秀喜のMVP…ヤンキース27度目の栄冠までの軌跡【2009年ワールドシリーズ】

マーク・ファインサンド

2020.01.13

レッドソックス入りが有力視されていたテシェーラにも好条件を提示し、見事獲得に成功した。(C)Getty Images

レッドソックス入りが有力視されていたテシェーラにも好条件を提示し、見事獲得に成功した。(C)Getty Images

「いつもニューヨークでプレーするのが好きだった。僕にぴったりの場所だった」とテシェーラは言う。「もしヤンキースに行かなかったら、『もし入っていたら……』とずっと後悔していたはずだ。球界で最高のチーム、一番豊かな歴史を持つチームだからね。他の29チームには申し訳ないけど、もしヤンキースに誘われたら絶対に行こうとずっと思っていた」

 ペティットは出来高が多くついた契約を結んでヤンキースに戻った。これにより、ポストシーズンに返り咲くだけでなく、ワールドチャンピオンを再びブロンクスにもたらすのに十分なチームが完成した。

■チームの雰囲気が明るくなり、お騒がせ男A-RODも活躍

 タンパでのスプリング・トレーニングにチームが集まった時、クラブハウスの雰囲気は目に見えて変わった。サバシアは球場以外でも定期的に親睦会を開いた。夕食会を開催したり、オーランドへNBAの試合を観戦しに行ったりした。

 また、スウィッシャーはクラブハウスで音楽をかけ始めた。ヤンキースでは、それまでの10年間でなかったことだった。ジョー・ジラルディ監督も新しい雰囲気づくりに貢献した。ビリヤード場でボウリング大会を開催し、ベテランとルーキー、ニューカマーと古株をペアにしてチームの絆を深めた。
 
 スプリング・トレーニング中には、ヤンキースでは定番のドラマもあった。『スポーツ・イラストレイテッド』誌の記事で、アレックス・ロドリゲスがレンジャーズ時代にPEDを使用していたことが明らかになり、球界最高給プレーヤーにして球界を代表するスターの評判が汚されたのだ。加えて股関節の故障を抱えていたA-RODは手術を受け、シーズン最初の4~6週間を欠場することになった。

 A-RODを欠いても、ヤンキース打線には十分な破壊力があった。4月、新ヤンキー・スタジアムが晴れてオープンし、チームを取り巻く雰囲気はぐんぐんと上昇していく。しかし、5月に入ると勢いが落ち、5連敗を喫して7日には13勝15敗となった。

 5月8日、ボルティモアでの試合でA-RODが故障者リストから復帰した。彼は第1打席の初球で3ラン本塁打を放ち、チームを活気づけた。
 
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