NBA

「バスケは夢を実現するためのステップになってくれた」コビーに影響を与え、引退後も世界を闊歩するロニー・トゥリアフの終わらぬ旅

小川由紀子

2020.05.04

苦難を乗り越えてNBA選手になったトゥリアフ。献身的なプレーで人気を博した現役時代同様、引退後も世界を飛び回っている。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。では、NBAで活躍した欧州プレーヤーたちはその後、どのようなキャリアをたどっているのか。第一線を退いた彼らの今をシリーズで紹介しよう。

 カリブ海に浮かぶフランスの海外県、マルティニーク島で生まれ育ったロニー・トゥリアフは、自分が将来プロバスケットボール選手になるなど想像もしていなかった。競技を始めたのも14歳と遅い。しかし父の勧めで本国フランスの首都パリに渡り、同国が誇るエリートアスリート養成所INSEPに入所すると、そこでトニー・パーカーやボリス・ディーオウら、その後ともに切磋琢磨する素晴らしい仲間と出会った。

 さらに縁あってアメリカのゴンザガ大に進学すると、4年時にはカンファレンスの最優秀選手賞を獲得。2005年のドラフトでロサンゼルス・レイカーズから全体37位で指名を受け、晴れてNBA選手となった。その後10年間で計7球団を渡り歩き、充実のプロキャリアを送った。
 
 そんな自身の予想をも超えたサクセスストーリーの一方で、レイカーズ入団時のメディカルチェックでは心臓に重大な欠陥が発見され、心臓部にメスを入れる大手術を受けた過去もある。しかし奇跡的なスピードで回復すると、5か月後にはプレー可能なコンディションを取り戻し、マイナーリーグで調整したあとの2006年2月、レイカーズでデビューの日を迎えた。

 トゥリアフはキャリア平均で4.7点と、決してスター選手だったわけではない。ボールハンドリングがうまいわけでもなく、テクニックで評価される選手ではなかった。しかし、常にガッツを剥き出しにする熱いプレーでチームを盛り立て、個性的な風貌も相まってファンに愛された選手だった。

 レイカーズでチームメイトだったジョーダン・ファーマーは、「一緒にプレーしてみたい選手は誰?」という質問に、「すでにチームメイトのトゥリアフ。彼のエネルギッシュさはチームに不可欠。彼の凄さをみんな過小評価している」と答えている。
 
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