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“オーフォーズ”を中心に連覇を成し遂げたフロリダ大。ガード不作のなかでもジェイソン・ウィリアムズ、ビールらが奮闘【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.06.22

ドノバンHCの下、2006、07年に連覇を達成。ただその立役者となったホーフォードやノアを筆頭に、大成したOBはフォワード、センターが大半で、ガードの成功例はウィリアムズ、ビールなど3人しかいない。(C)Getty Images

 フロリダ大出身のNBA選手には、ひとつはっきりとした傾向がある。活躍しているのはセンター、もしくはフォワードが多いということだ。

 これまで33人がNBA入りし、ガードで成功したのはヴァーノン・マックスウェル、ジェイソン・ウィリアムズ、現役のブラッドリー・ビール(ワシントン・ウィザーズ)の3人しかいない。ペリメータープレーヤーのマイク・ミラーやコーリー・ブリューワーにしても、身長は2メートルを超えている。

 ゲイターズ(アリゲーター=ワニの略)の愛称で知られるバスケットボール部は、創設から長い間全国的には無名の存在だった。何しろ1987年までは、NCAAトーナメント(以下トーナメント)に出場したことすらなかったのだ。もうひとつの全国大会であるNIT選手権も、1980年代に入るまでは1969年に1度出場しただけだった。
 
 それでも1966-67シーズンには、APランキングで最高8位まで上がったことがある。その原動力となったのがニール・ウォークで、彼もまたセンターだった。

 通算1181リバウンドは今も大学記録であり、背番号41はゲイターズで唯一の永久欠番。1969年のドラフトでは、ルー・アルシンダー(のちのカリーム・アブドゥル・ジャバー/元ロサンゼルス・レイカーズほか)に次ぐ2位の高順位でフェニックス・サンズに指名され、ゲイターズ出身者で初のNBA選手になる(それまではABAでプレーした選手が2人いただけ)。1973年に平均20.2点、12.4リバウンド、翌年にはチーム最多の331アシストを記録するなど器用な面もあったが、活躍した期間は短かった。

 ウォークの入団から19年間、フロリダ大出身のNBA選手は途絶える。大学記録の通算2090点をあげたロニー・ウィリアムズですら、1984年のドラフトでは2巡目最下位指名の低評価にとどまった。

 1988年になってようやく、マックスウェルがサンアントニオ・スパーズでデビュー。大学3年時の1987年には平均21.6点をあげ、エースとしてチームをトーナメント初出場時に導いた男は、1990年のヒューストン・ロケッツ移籍後に本格開花を迎える。1991、92年に2シーズン連続でリーグ最多の3ポイント成功数をマークするなどシューターとして地位を高め、1994年の初優勝時にはスターターとしてプレー。しかし"マッド・マックス"と呼ばれた気性の荒さが災いし、翌1995年のポストシーズンは1試合出場しただけでチームを離れ、連覇の輪に加われなかった。
 
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ドノバンとともに入学したウィリアムズは、NBA入り後に独自のスタイルで一世を風靡