NBA

自称“ギリシャのマッグレディ”バシリス・スパノーリス。欧州トップ選手がNBAで味わった挫折と苦悩とは

小川由紀子

2020.06.22

38歳となった現在も欧州屈指の選手として活躍するスパノーリス。しかし彼のNBA挑戦の夢はわずか1年で幕を閉じた。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。しかし、その中には己の実力を発揮しきれず、数年でアメリカを後にしたプレーヤーも少なくない。NBAに挑み、再び欧州の舞台へ舞い戻った挑戦者たちを、シリーズで紹介しよう。

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 ギリシャ代表、そして同国を代表するクラブであるオリンピアコスの中枢を担うバシリス・スパノーリスは、欧州で現役最強のコンボガードだ。

 今年の8月で38歳。故障欠場も増えつつあるが、それでも頭脳的なプレーと、勝敗を決定づける"ここぞ"という要所を嗅ぎ分ける勘の良さや勝負強さは、多くのファンを唸らせている。ユーロリーグでは、参戦した14シーズンすべてで平均2桁得点をマークし、昨年11月には、フアン・カルロス・ナバーロが持っていた歴代最多得点記録を更新。評価指数とアシスト数でも首位に立つ、まぎれもないヨーロッパのトッププレーヤーだ。
 
 しかし、そんな彼のNBAへの挑戦は、わずか1シーズンと短命だった。出場した31試合はいずれもベンチスタート。平均8.8分のプレータイムで2.7点と、寂しい数字に終わっている。

 スパノーリスがドラフトされたのは2004年、21歳の時だった。17歳から地元ギリシャでプロとしてプレーしていた彼は、その時点ですでに欧州では将来を嘱望されたスター候補生。2巡目50位でスパノーリスを指名したのはダラス・マーベリックスだったが、その日のうちに交渉権はヒューストン・ロケッツに譲渡された。

 NBAでプレーすることは子どもの頃からの夢だったが、ちょうどその時、所属クラブのマルーシは国内リーグとFIBAユーロチャレンジ(現在は消滅したクラブ間コンペティション)で準優勝。個人でもギリシャリーグのMIPに選ばれるなど、キャリアが昇華し始めた時期にあったため、スパノーリスはアメリカ行きを焦らず、さらに2年の間、国内で経験を積んだ。
 
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希望を胸に渡米するもベンチを温める日々が続き、徐々に不満を募らせていく