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3球団でファイナル進出3回。NBAで名を残す術を示したエリック・スノウの功績【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.06.24

シクサーズで先発に定着したスノウ。01年はプレーオフでケガを負いながらも、ファイナル進出に貢献した。(C)Getty Images

 ドラフト2巡目指名選手がNBAで生き残るのは難しいが、エリック・スノウは非凡な統率力と堅守を武器に、13年間にわたりプレーを続けた。さらに様々な慈善活動に携わるなど、コート外でも彼は優れた人格者であった。

 MVPに新人王、シックスマン賞やMIPなど、NBAでは様々な賞が制定されているが、選手の間で大変な名誉とされるのが、慈善活動や人道的な行為に対して贈られるシチズンシップ賞(J.Walter Kennedy Citizenship Award)である。ケビン・ガーネットも、2006年にこの賞を受賞した際には「ほかのどんな賞よりも、この賞が一番嬉しい」とコメントしたほどだ。

 05年の受賞者、エリック・スノウもその思いは同じだった。「多くの時間とエネルギーを他者のために注いだ人々と、私の名前が並ぶことを大変光栄に思います。この賞が皆の啓発につながれば、こんなに嬉しいことはありません」と受賞時に喜びを語っている。

 2000年にはスポーツマンシップ賞にも選ばれ、ジョー・デュマース(元デトロイト・ピストンズ)に続き、この2つの賞をダブル受賞した2人目の選手となったスノウ。彼はコートの内外で、真のリーダーシップとはいかなるものかを体現していた。

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 シクサーズ移籍後3年目の1999-2000シーズン、スノウは自己ベストの平均7.6アシストを記録し、正統派PGとしての地位を不動のものとする。だが翌00-01シーズンは足首を故障し、32試合を欠場。バックスと対戦したプレーオフのカンファレンス決勝でも、第4戦の試合中に同じ箇所を傷め、その症状はかなり深刻だった。

 だが、すでに先発SFのジョージ・リンチを欠いていただけでなく、アイバーソンも尾てい骨のケガで万全とはいえない状態では、これ以上戦力を落とすわけにはいかなかった。このチームの窮地にスノウは、「バスケットができなくなるかもしれないから、試合には出ないでほしい」との妻の懇願を振り切って第5戦に出場すると、9本中7本のFGを決め18点をマーク。見事チームを勝利に導いた。「足首はボロボロだったのに、もの凄いガッツだよ」(チームメイトのアーロン・マッキー)
 
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シクサーズで活躍後、新天地のキャブズでもファイナルの舞台に