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同窓のジョーダンとは対照的な“エゴとは無縁の男”。サム・パーキンスの愛すべきキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.07.17

ジョーダンとは対照的で、エゴとは無縁のプレーヤーだったパーキンス。(C)REUTERS/AFLO

■同期のジョーダンらに比べインパクト不足は否めず…

 その年のドラフトで4位指名を受けてダラス・マーベリックスに入団。当時のディック・モッタHCに「3年もすればオールスター選手になれる」と高く評価されていたパーキンスは、チーム事情から本職のPFではなくセンターとして起用され、シーズン平均11.0点、7.4リバウンドの好成績をマーク。プレーオフでも4試合で18.8点、12.8リバウンドと大暴れし、オールルーキーチームに選ばれた。さらに2年目の85年12月12日には、対ロケッツ戦で31点、20リバウンドを奪い、球団史上初の30/20を達成した。

 だが、その後は毎年平均15点、8リバウンド程度で頭打ちの状態が続く。決して悪い成績ではなかったが、同期のジョーダンやオラジュワンはもちろん、彼より下位で指名されたバークレーやストックトンと比べても、インパクト不足は否めなかった。チームメイトのデレック・ハーパーは「リーグで最高のロールプレーヤーの1人」とパーキンスを評したが、これを素直に賛辞と受け止めていいのか、微妙なところだった。

 伸び悩んだ理由は、その控え目な性格にあったのかもしれない。「サムは自分から積極的に点を取ろうとしないんだ。まあ、何が何でも自分で決めたがるようなヤツよりはマシかもしれないが……」(モッタHC)。
 
「スポットライトが当たりすぎるのは好きじゃない。エゴイスティックに見られたくはないからね」。そう言うパーキンスには、こんなエピソードがある。90年のある試合で、第1Qだけで22点をあげ、フランチャイズの得点記録更新が期待された。ところが自分ばかりシュートを打ちすぎていると感じた彼は、その後パスを回し始めたため、記録にはわずかに及ばない45点にとどまったのだ。

 他者への施しを重んじるエホバの教えを幼少期に叩き込まれたからだと、パーキンスは説明した。だがこうしたプレースタイルだけでなく、滅多に感情を露わにしないことや、いつも眠そうな目をしている表情も相まって、怠惰な選手と誤解されることもしばしばあった。「全力を出していないとか、手を抜いているとかって言われたな。もちろん一所懸命プレーしていたんだけど、周りにはそうは見えなかったようだね」。それでもそうした悪評を覆そうとせず、マイペースを貫き通したのが、いかにもパーキンスらしかった。