NBA

「大会で優勝するよりも……」セカンドキャリアを祖国とアフリカに捧げるルオル・デンの“願い”

小川由紀子

2020.07.20

昨季限りで引退したデンは、セカンドキャリアをを祖国南スーダン、そしてアフリカのために捧げている。(C)Getty Images

 2004年のドラフトでフェニックス・サンズから1巡目7位指名を受け、交渉権を譲り受けたシカゴ・ブルズでデビュー。ミネソタ・ティンバーウルブズに在籍した昨季を終え、今季開幕直前の2019年10月17日、全盛期を過ごしたブルズの一員として、ルオル・デンは15年間のキャリアに幕を下ろした。

 "コーチK"ことマイク・シャシェフスキーが指揮を取る名門デューク大では、1年生ながらファイナル4のセミファイナル、対コネチカット大戦でチームハイの得点、リバウンドをマーク。NBAではオールルーキー1stチームに選ばれるなど幸先のいいスタートを切り、ブルズ時代の2012、13年にはオールスターにも出場した。

 2014年1月にクリーブランド・キャバリアーズへ放出され、以降はマイアミ・ヒート、ロサンゼルス・レイカーズと渡り歩き、ウルブズで締めくくった15年間。通算902試合に出場し、平均34.3分のプレータイムで14.8点、6.1リバウンドという好成績が物語るように、デンのキャリアは充実したものだったと言っていいだろう。

 そして現在、彼は南スーダン共和国のバスケットボール連盟の会長として、祖国の競技振興に奮闘している。
 
 デンは1985年、南スーダンのワーウで生まれた。とはいえ、南スーダンが独立したのはほんの9年前のことで、当時はスーダン共和国の一部だった。

 スーダンは1956年にイギリスとエジプトの統治から独立したが、その後、宗教や民族の違う南北間で独立を巡る内紛が勃発。半世紀以上もの戦いを経て、2011年に南スーダンの独立が成立した。しかしその後も国境付近の紛争や、国内での政治権力争いが繰り返され、いまだ平和からは程遠い状況にある。

 デンが生まれたのは、まさにそんな内紛の最中だった。5歳でエジプトに移住したあと、戦況がさらに悪化すると、政治家だった父親の決断により一家でイングランドに政治亡命。そして14歳の時、両親の下を離れて兄が暮らしていたアメリカへと渡った。

 デューク大で早くから頭角を現わしていた彼に、周囲はカレッジバスケ界のスターになることを期待し始める。しかし1年終了時にドラフトにアーリーエントリーしたのは、少しでも早く社会人になって、国の家族を助けたいという思いからだった。
 
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デンの思いの根底を支える母国のレジェンド