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1年目と現役最終年に優勝した“お祭り男”、サム・キャセールの栄光のキャリア【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.08.28

キャセールはNBA1年目にロケッツで優勝。翌年に連覇を達成すると現役最後の2008年にも頂点に立った。(C)Getty Images

 まるで宇宙人のような風貌のサム・キャセールだが、実力は折り紙つきで、行く先々でチームを成功へと導いてきた。一級品のスキルと強烈なキャラクターを備えたお祭り男のストーリーをお届けしよう。
 
 NBA1年目で優勝を経験し、現役最後の年にもチャンピオンとなる選手はそう多くはない。1996年、NBA創設50周年を記念して実施された「NBAの偉大な50人」に選ばれた名選手でも、これを成し遂げたのはビル・ラッセルただ1人であり、実力だけでなく運にも恵まれる必要がある。

 サム・キャセールは、その偉業を達成した数少ない選手である。本当の最終シーズンはロースターに登録されながら1試合も出場しなかったので、厳密にいえば「現役最後の年」ではないけれども、「実戦でプレーした最後の年」に優勝したことには変わりない。彼は運と実力をともに備えていた選手であり、さらにもうひとつ、成功者に欠かせない要素が備わっていた。それは自らの能力を信じて疑わないという、強烈な自負心だった。
 
■代役として出場した試合で、大舞台での勝負強さを証明

 ボルティモアで生まれ育ったキャセールは、彼自身の形容によれば幼少時から「プレイグラウンドの伝説」だったそうだ。それがどこまで本当かは不明だが、子どもの頃からポイントガードだったことだけは間違いない。レジー・ルイス(元ボストン・セルティックス)らを輩出した強豪校のダンバー高校でも、常にボールは彼の手の中にあった。

 高校卒業後はデポール大に進学予定だったが、学業不振で1年間の出場制限を課せられそうになり、「人間に水が必要なように、俺にはバスケットボールが必要」との理由でサンハシント短大への進学を決める。

 同校での2年間で全米一の短大選手との評価を確立したキャセールは、91年にフロリダ州大(FSU)のパット・ケネディHCに勧誘され転校。当時、FSUで先発PGを務めていたのはチャーリー・ウォードだった。フットボール選手として全国的に有名だったウォードは、バスケットボールをやらせても優秀で、キャセール、ボブ・スーラといったのちのNBA選手たちを抑え、先発PGとしてプレーしていた。
 
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ウォードの代役として先発し勝負強さを発揮