漫画『SLAM DUNK』を読んでバスケットボールにはまり、八村塁を模範とする中国バスケ界の新星チュ・ミンジェン(祝銘震)。彼が今月、中国リーグでプロキャリアをスタートさせた。
チュは1996年10月8日、中国語が流暢なウガンダ人外交官の父と、中国人の母親の下、北京で誕生。父の祖国のことはほとんど知らず、北京訛りの中国語を話す生粋の北京っ子だ。
幼少の頃はバイオリンを習っていたが、小学校の教師が彼の並外れた身体能力に注目。学校の仲間たちとプレーするようになったのが、バスケットボールを始めたきっかけだったという。
そんな彼をバスケの虜にしたのは、中国でも愛読されていた『SLAM DUNK』。一番好きな場面は、ケガをしたあと不良になっていた三井寿が、再びバスケ部に戻るエピソードだそうで、「中国にある『悪を極めた息子が改心して立ち直ると金にも換え難い存在になる』ということわざ通りだ」と、なかなかに渋い答えを以前インタビューで話している。
バスケの強豪校として知られる北京第4高校に入学すると、在学中は平均18.3点、9.5リバウンドをマーク。自校を高校リーグの北京チャンピオンに導いた彼は、“高校バスケ界のレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)”と呼ばれていた。
高校卒業後に進学した北京大でもリーグの花形プレーヤーとして活躍し、卒業後の今年8月に行なわれた中国リーグ(CBA)のドラフトでは、全体2位で広州ロングライオンズに指名されてプロ選手となった。
CBAのプロクラブはどこも育成に力を入れていて、自分のクラブで将来活躍してくれる優秀な生え抜きを育てているから「外部からドラフトされることは、それだけで名誉である」と中国では言われている。実際、プロクラブのユースチームを経てステップアップしていくケースが一般的な中国のバスケットボール界で、チュのような学生バスケ出身のプロ選手は亜流だ。
彼自身、大学に入学した頃は、バスケットボールを将来的にやっていくといった覚悟はなかったそうだが、2年、3年とプレーを重ねていくなかで、自分のキャリアとして意識するようになっていったのだという。
チュは1996年10月8日、中国語が流暢なウガンダ人外交官の父と、中国人の母親の下、北京で誕生。父の祖国のことはほとんど知らず、北京訛りの中国語を話す生粋の北京っ子だ。
幼少の頃はバイオリンを習っていたが、小学校の教師が彼の並外れた身体能力に注目。学校の仲間たちとプレーするようになったのが、バスケットボールを始めたきっかけだったという。
そんな彼をバスケの虜にしたのは、中国でも愛読されていた『SLAM DUNK』。一番好きな場面は、ケガをしたあと不良になっていた三井寿が、再びバスケ部に戻るエピソードだそうで、「中国にある『悪を極めた息子が改心して立ち直ると金にも換え難い存在になる』ということわざ通りだ」と、なかなかに渋い答えを以前インタビューで話している。
バスケの強豪校として知られる北京第4高校に入学すると、在学中は平均18.3点、9.5リバウンドをマーク。自校を高校リーグの北京チャンピオンに導いた彼は、“高校バスケ界のレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)”と呼ばれていた。
高校卒業後に進学した北京大でもリーグの花形プレーヤーとして活躍し、卒業後の今年8月に行なわれた中国リーグ(CBA)のドラフトでは、全体2位で広州ロングライオンズに指名されてプロ選手となった。
CBAのプロクラブはどこも育成に力を入れていて、自分のクラブで将来活躍してくれる優秀な生え抜きを育てているから「外部からドラフトされることは、それだけで名誉である」と中国では言われている。実際、プロクラブのユースチームを経てステップアップしていくケースが一般的な中国のバスケットボール界で、チュのような学生バスケ出身のプロ選手は亜流だ。
彼自身、大学に入学した頃は、バスケットボールを将来的にやっていくといった覚悟はなかったそうだが、2年、3年とプレーを重ねていくなかで、自分のキャリアとして意識するようになっていったのだという。