NBA

コインフリップ、ロッタリー、アーリーエントリー制度…73年の歴史を誇るNBAドラフトの歴史を紐解く

出野哲也

2020.11.13

73年の歴史を誇るNBAのドラフトは、様々な制度の変更を経て現在に至る。(C)Getty Images

■アメリカ4大スポーツ史上2番目に古い歴史を持つ

 2019年、ゴンザガ大の八村塁がワシントン・ウィザーズに9位指名され、普段NBAにあまり興味を持っていない日本のスポーツファンの間でも、NBAドラフトが注目を集めた。もちろんアメリカ、そして世界中のバスケットボール好きにとっては、ドラフトはNBAのオフシーズンで最大の関心事と言っていい。大きな期待を背負って全体1位指名された選手が伸び悩んだり、無名の下位指名が大成したりと、これまでドラフトは数多くのドラマを生み出し、数多くの選手やチームの運命を変えてきたのである。

 NBAでドラフト制度が施行されたのは、前身のBAAという名前だった1947年。北米4大スポーツではNFL(36年)に次いで早い時期だった。だが、その頃のプロバスケットボールはビッグビジネスではなく、全体1位で指名されたクリフトン・マクニーリーがプロ入りせず高校のコーチを選ぶほど軽んじられていた。1位指名で1試合もプレーしなかったのは、ほかには八百長事件で追放になったジーン・メルキオーニ(51年)だけだ。
 
■タンキング行為を防ぐためロッタリー制度が導入される

 初期のドラフトで最大の特徴は、テリトリアル・ピック(地域優先指名権)の存在だった。NBAが広く認知されていない時代、リーグの人気を高める方策として、各球団が1人ずつ本拠地にゆかりのある有力選手を優先的に指名できたのだ。

 具体例では、49年のドラフトでセントルイス大のエド・マコーリーがセントルイス・ホークスに、ミネソタ州ハムリン大のヴァーン・ミケルセンがミネアポリス・レイカーズに、それぞれ指名された。テリトリアル・ピックは65年まで続き、のちに殿堂入りを果たすウィルト・チェンバレン、オスカー・ロバートソン、ジェリー・ルーカスらの名選手を含め23人が指名された。そのため、この時代の全体1位は必ずしもその年のNo.1選手とは限らなかった。

 もうひとつの特徴として、66年から1位指名権が牧歌的なコインフリップで決められたことも挙げられる。基本的には前年の勝率が低い球団からウェーバー順に指名するのだが、東西両ディビジョン(69-70シーズンまでこの呼び名だった)に分かれていたため、東西の最下位球団同士が、投げたコインが表と裏のどちらを向くかコールして指名順を決めたのである。