コビー・ブライアントは1996年のレイカーズ入団から現役で20年間プレーし、引退後ヘリコプター墜落事故で亡くなるまで、実業家として約4年間過ごした。トータル24年。古くからのNBAファンは、好き嫌いや密度の差こそあれ、ざっと四半世紀もの間コビーを見続け、その動向を追いかけてきたわけである。僕もその1人だ。
追悼号のコラム(関連記事参照)にも書かせていただいたので繰り返しになるが、1990年代の前半からニューヨークに暮らし、ダイハード・ニックスファンだった僕にとって、レイカーズはとりもなおさず憎きライバルであり、チームの中心選手のひとりであるコビーは、アンチになって然るべき存在だった。
チームのライバル云々だけではない。若い頃の彼の生意気さには、人を不快にさせる要素がふんだんにあったし、いつ何時も自信に満ち溢れた態度は、僕をはじめ自分に自信を持てない世のヘタレたちの嫉妬を駆り立てるだけの力があった。あの頃マディソンスクエア・ガーデンの試合で、フリースローを外して観客が最も喜んだ相手選手は、レジー・ミラーとコビーだったような気がする。そして、他の多くのアリーナでも同様だったに違いない。
それでも、たとえアンチと言えど、コビーが持つ異常なまでのメンタルの強さや向上心、そして鬼のようなプレーには、むかつきを通り越して一目置かざるを得なかった。それどころか、心の奥底では完全に脱帽し、舌を巻き、感服していたような気がしなくもない。
コビーが在籍していた当時のレイカーズ対ニックスの戦績を調べてみると、レイカーズの23勝11敗。レイカーズの勝利の大半が、ニックス戦になると決まって一段と張り切るコビーによってもたらされたと言ってもいいだろう。ニックスファンにとっては、長年に渡り煮え湯を飲まされ続けた、まるで疫病神のような存在なわけだが、その疫病神との1年に2回の試合を心待ちにしている自分もいた。
あれから随分と時が経ち、コビーが鬼籍に入り1年が過ぎた。コビー・ブライアントというバスケットボール選手、そして人間について、この四半世紀の間に考えたすべての量以上のことを、この1年間に考え、情報を漁り、思いを馳せたような気がする。
追悼号のコラム(関連記事参照)にも書かせていただいたので繰り返しになるが、1990年代の前半からニューヨークに暮らし、ダイハード・ニックスファンだった僕にとって、レイカーズはとりもなおさず憎きライバルであり、チームの中心選手のひとりであるコビーは、アンチになって然るべき存在だった。
チームのライバル云々だけではない。若い頃の彼の生意気さには、人を不快にさせる要素がふんだんにあったし、いつ何時も自信に満ち溢れた態度は、僕をはじめ自分に自信を持てない世のヘタレたちの嫉妬を駆り立てるだけの力があった。あの頃マディソンスクエア・ガーデンの試合で、フリースローを外して観客が最も喜んだ相手選手は、レジー・ミラーとコビーだったような気がする。そして、他の多くのアリーナでも同様だったに違いない。
それでも、たとえアンチと言えど、コビーが持つ異常なまでのメンタルの強さや向上心、そして鬼のようなプレーには、むかつきを通り越して一目置かざるを得なかった。それどころか、心の奥底では完全に脱帽し、舌を巻き、感服していたような気がしなくもない。
コビーが在籍していた当時のレイカーズ対ニックスの戦績を調べてみると、レイカーズの23勝11敗。レイカーズの勝利の大半が、ニックス戦になると決まって一段と張り切るコビーによってもたらされたと言ってもいいだろう。ニックスファンにとっては、長年に渡り煮え湯を飲まされ続けた、まるで疫病神のような存在なわけだが、その疫病神との1年に2回の試合を心待ちにしている自分もいた。
あれから随分と時が経ち、コビーが鬼籍に入り1年が過ぎた。コビー・ブライアントというバスケットボール選手、そして人間について、この四半世紀の間に考えたすべての量以上のことを、この1年間に考え、情報を漁り、思いを馳せたような気がする。
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