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キッド&マーティン――ネッツに黄金期をもたらした「天才司令塔」と「荒ぶる原石」の出会い【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.03.13

ネッツが過去ファイナルに進出したのは2002年と03年の2回。その当時の中軸を担っていたのがキッド(左)とマーティン(右)だった。(C)Getty Images

 ジェームズ・ハーデンの加入により、ケビン・デュラント、カイリー・アービングとのビッグ3を形成したブルックリン・ネッツが好調だ。トレード成立直後はケミストリーの構築などが不安視されたが、今のところ3人は息の合ったプレーを見せている。

 ネッツが過去NBAファイナルまで進出したのは、本拠がニュージャージーにあった2002年と03年。特に02年のチームは現在とは正反対で、平均15点以上の選手が1人もいなかったにもかかわらずイースタン・カンファレンスを制した。その中心となっていたのが、司令塔のジェイソン・キッドと若きパワーフォワード、ケニョン・マーティンの2人だった。

■周りを生かす天才司令塔、ジェイソン・キッド

「私やマイケル(・ジョーダン)、ラリー(・バード)は、チームメイトを向上させた。ジェイソンも同じだよ。彼と一緒にプレーすることで、周りの選手もいいプレーができるんだ」(マジック・ジョンソン)
 
 そんなキッドのプレースタイルを形作ったのは、サンフランシスコのプレーグラウンドだった。ゲイリー・ペイトンやブライアン・ショウらに混じってボールを追いかけた少年時代、キッドは自分ではシュートせず、パスに専念していた。大型ポイントガードとして活躍したマジックに憧れていたこともあったが、そうすることで年上の選手たちから気に入られ、仲間に入れてもらえたのだ。

 将来のNBA選手たちに揉まれながら腕を磨き、高校時代に全米最優秀選手に輝いたキッドは、強豪校ではなく実家に近いカリフォルニア大に進学した。長い間振るわなかった同校はキッドの入学でよみがえり、93年のNCAAトーナメントではデューク大の3連覇を阻止する大金星を挙げた。

 94年のドラフト全体2位で、キッドはダラス・マーベリックスに入団した。直前の2年間でマブズは合計24勝しかしていなかったが、3年目のシューティングガードであるジム・ジャクソン、2年目のスモールフォワードのジャマール・マッシュバーンら得点力のある若手が育っていた。彼らを生かせる司令塔として、キッド以上に相応しい選手はいなかった。
 
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