1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)。プロを目指す若手選手たちにとってNCAAでプレーすることがNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターをNBAに送り出してきた。では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、NCAAとNBAに精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。
第3回は名将“コーチK”の下、5度の全米制覇を果たしたデューク大編をお届け。近年はザイオン・ウィリアムソンやブランドン・イングラム、ジェイソン・テイタムら若手スター候補を輩出しているが、長い歴史を辿ってみると、どのような布陣が出来上がるのか。
【ポイントガード】
カイリー・アービング
1992年3月23日生。188cm・88kg
カレッジ成績:11試合、平均17.5点、3.4リバウンド、4.3アシスト
NBA成績:567試合、平均22.8点、3.8リバウンド、5.7アシスト
名目上はPGでも、実態はプレーメーキングよりスコアリングに重点を置いている選手。デュークに通ったのは1年だけ、それも故障のため11試合にしか出場せず、2011年のドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに入団。平均18.5点、5.4アシストを記録して新人王に選ばれた。
NBAでのオールスター出場7回は、グラント・ヒルに並んでデューク出身者で最多。14年の大会ではMVPに輝いた。16年はNBAとリオデジャネイロ五輪の両方で優勝。なお12年のロンドン五輪の際は、出生地オーストラリアの代表でプレーすることを検討していた。キャブズではレブロン・ジェームズの補佐役に満足できず、トレードを要求してボストン・セルティックスへ移ったが、ここも安住の地とはならずに19年からはブルックリン・ネッツでプレーしている。
アービング以外のデューク出身PGでは、ボビー・ハーリー、ジェイ・ウィリアムズが大学時代に全米級の活躍を見せたが、いずれもプロ入り後間もなく交通事故に遭ったのが原因で大成できなかった。
第3回は名将“コーチK”の下、5度の全米制覇を果たしたデューク大編をお届け。近年はザイオン・ウィリアムソンやブランドン・イングラム、ジェイソン・テイタムら若手スター候補を輩出しているが、長い歴史を辿ってみると、どのような布陣が出来上がるのか。
【ポイントガード】
カイリー・アービング
1992年3月23日生。188cm・88kg
カレッジ成績:11試合、平均17.5点、3.4リバウンド、4.3アシスト
NBA成績:567試合、平均22.8点、3.8リバウンド、5.7アシスト
名目上はPGでも、実態はプレーメーキングよりスコアリングに重点を置いている選手。デュークに通ったのは1年だけ、それも故障のため11試合にしか出場せず、2011年のドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに入団。平均18.5点、5.4アシストを記録して新人王に選ばれた。
NBAでのオールスター出場7回は、グラント・ヒルに並んでデューク出身者で最多。14年の大会ではMVPに輝いた。16年はNBAとリオデジャネイロ五輪の両方で優勝。なお12年のロンドン五輪の際は、出生地オーストラリアの代表でプレーすることを検討していた。キャブズではレブロン・ジェームズの補佐役に満足できず、トレードを要求してボストン・セルティックスへ移ったが、ここも安住の地とはならずに19年からはブルックリン・ネッツでプレーしている。
アービング以外のデューク出身PGでは、ボビー・ハーリー、ジェイ・ウィリアムズが大学時代に全米級の活躍を見せたが、いずれもプロ入り後間もなく交通事故に遭ったのが原因で大成できなかった。