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両親が、恩師が、元同僚が語るルカ・ドンチッチ――スロベニアの“ワンダーボーイ”立志伝<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.05.30

今やNBA最高クラスの選手となったドンチッチ。スロベニアの“ワンダーボーイ”がその座に上り詰めるまでの軌跡を振り返る。(C)Getty Images

 プレーオフのファーストラウンドは各シリーズ3~4試合を終え、クライマックスに突入している。

 そのなかで、ここまでの全3試合で得点、リバウンド、アシストすべてチームハイ。第3戦こそロサンゼルス・クリッパーズに118-108で敗れたものの、その試合では44得点と大暴れ。3試合で平均38点と、エースとして力強くダラス・マーベリックスを牽引しているのがルカ・ドンチッチだ。

 2018年のドラフトでアトランタ・ホークスから3位指名を受け、直後にトレードでマーベリックスへ。デビュー後すぐにチームを牽引する存在となった彼は、これまでのバスケ人生でも常に周囲を驚かせてきた。そんなスロベニアの"ワンダーボーイ"の少年時代を振り返る。

 プロバスケットボール選手だった父サシャ・ドンチッチと、モデル時代にはミス・スロベニア候補にもなった母ミリャムのもと、1999年2月28日、スロベニアの首都リュブリャナでルカは生まれる。物心つかない頃からバスケットボールと戯れ、歩くようになると、家にあったミニゴールにボールを入れて遊ぶようになった。
 
 小さい頃から活発で、スポーツはなんでもトライ。サッカーも大好きだったが、身長がどんどん大きくなるとバスケットボールに専念する。しかしドンチッチは「バスケットボール選手になっていなかったらサッカー選手になりたかった」と語り、今でも空いた時間にはサッカーゲームに熱中するほどサッカー好きだ。

 8歳の時、当時父親がプレーしていたリュブリャナのプロクラブ、ウニオン・オリンピアのキッズチームに入ったが、同い年の子どもたちとはあまりにレベルが違いすぎて、すぐに10歳チームに昇格した。8歳でボールハンドリングは完璧。コートビジョンもみるみる養われ、試合になると、ルカ少年はコーチたちが見たこともないようなトリッキーなプレーを繰り出した。

 現在マイアミ・ヒートに所属するスロベニア人ポイントガードのゴラン・ドラギッチは、ウニオン・オリンピアで父のサシャと、スロベニア代表では息子のルカと共闘している。父の試合は常にコートサイドの最前列で観戦し、ハーフタイムになるとコートに出てシュートを打っていた当時のルカについてドラギッチは「この時から、ボールの扱い方には父親譲りの天性のものがあった」と述懐。サシャはシューティングガードからパワーフォワードまでをこなす、ポリバレントな選手だった。
 
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プレー中に気性が荒くなる性格は少年の頃からのもの