1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターを送り出してきた。
では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。
今回はNCAA優勝こそないが、90年代はケニー・アンダーソンやステフォン・マーブリーといったスコアリングガード、2000年以降ではクリス・ボッシュ、サディアス・ヤングら走れるビッグマンまで、ポジションを問わず確かな能力を備えた実力者をNBAに送り込んでいるジョージア工科大編をお届けする。
【ポイントガード】
マーク・プライス
1964年2月15日生。183センチ・77キロ
カレッジ成績:126試合、平均17.4点、2.6リバウンド、4.0アシスト
NBA成績:722試合、平均15.2点、2.6リバウンド、6.7アシスト
ジョージア工科大ОBで、最初にNBAのスターとなったのがプライスだった。大学では1年生でカンファレンス得点王となり、オールカンファレンスチームにも4年連続で選ばれた実力者だった。ところが180センチしかない低身長が敬遠されたか、1986年のドラフトでは同級生のジョン・サリーが11位だったのに対し、2巡目の25位に甘んじた。
それでもクリーブランド・キャバリアーズに入団すると、正確なロングシュートと優れたパスセンスですぐ頭角を現す。特にフリースローの確率が高く、92-93シーズンの94.8%を最高として3度リーグ1位。通算90.4%も、引退した選手ではスティーブ・ナッシュに0.04%差で2位だった。アシストもトップ10に5度食い込んでいる。
オールスターは本戦に4回出場、3ポイントコンテストでは2度優勝。94年の世界選手権「ドリームチームⅡ」のメンバーでもあったが、ケガの多さが玉にキズだった。引退後はアシスタントコーチとして母校に戻っている。
では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。
今回はNCAA優勝こそないが、90年代はケニー・アンダーソンやステフォン・マーブリーといったスコアリングガード、2000年以降ではクリス・ボッシュ、サディアス・ヤングら走れるビッグマンまで、ポジションを問わず確かな能力を備えた実力者をNBAに送り込んでいるジョージア工科大編をお届けする。
【ポイントガード】
マーク・プライス
1964年2月15日生。183センチ・77キロ
カレッジ成績:126試合、平均17.4点、2.6リバウンド、4.0アシスト
NBA成績:722試合、平均15.2点、2.6リバウンド、6.7アシスト
ジョージア工科大ОBで、最初にNBAのスターとなったのがプライスだった。大学では1年生でカンファレンス得点王となり、オールカンファレンスチームにも4年連続で選ばれた実力者だった。ところが180センチしかない低身長が敬遠されたか、1986年のドラフトでは同級生のジョン・サリーが11位だったのに対し、2巡目の25位に甘んじた。
それでもクリーブランド・キャバリアーズに入団すると、正確なロングシュートと優れたパスセンスですぐ頭角を現す。特にフリースローの確率が高く、92-93シーズンの94.8%を最高として3度リーグ1位。通算90.4%も、引退した選手ではスティーブ・ナッシュに0.04%差で2位だった。アシストもトップ10に5度食い込んでいる。
オールスターは本戦に4回出場、3ポイントコンテストでは2度優勝。94年の世界選手権「ドリームチームⅡ」のメンバーでもあったが、ケガの多さが玉にキズだった。引退後はアシスタントコーチとして母校に戻っている。
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