東京五輪

バスケ日本代表が4勝をあげて「国際的に一歩踏み出せた」1964年東京五輪。再び奇跡を起こせるか【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.14

1964年の東京五輪で、バスケ日本代表は4勝をあげる大健闘を見せた。47年前の奇跡を今大会でも再現できるか。(C)Getty Images

 1964年、東京で行なわれた夏季オリンピック。大本命のアメリカが予想通り金メダルを獲得したなかで、日本も開催国の意地を見せ、現在に至るまで最多記録となる4勝をマークした。そこから57年後、再び東京が舞台となる2021年大会では、いったいどのようなドラマが起きるのか。

■開催地に恥じない戦いをすべく、万全の準備を期した日本代表

 2020年に予定されていた東京オリンピックが、新型コロナウイルスのパンデミックによって延期になってから約1年。コロナ禍はいまだ終息に至らず、開催に反対する声も根強いが、無事に挙行されることを祈りつつ、57年前に同じく東京で行なわれた大会を振り返ろう。

 それに関連して、過去の日本代表の戦いぶりも概観しておきたい。バスケットボールは1936年のベルリン五輪から正式競技となり、日本もその記念すべき初回に出場。トーナメント方式の1回戦で中華民国、2回戦ではポーランドを撃破したが、続く3回戦で、この大会にて銅メダルに輝くメキシコに敗れている。

 4年後の1940年に予定されていた東京五輪は、日中戦争が激化したことで開催を返上、のちに中止。1944年も第二次世界大戦の影響により行なわれず、1948年のロンドン大会でオリンピックは12年ぶりに復活を果たした。
 
 日本がバスケットボール競技に再び代表を送り出したのは、1956年のメルボルン大会。20年ぶりとなった大舞台での結果は3勝4敗、全15か国10位とまずまずだったが、続く1960年のローマ五輪は7戦全敗。棄権したブルガリアを除けば最下位となる15位に後退した。

 本国開催でこのような恥はかけないとあって、日本は3年計画で代表チームの強化に乗り出す。吉井四郎監督の下、メンバーを固定して意欲的に海外遠征もこなしたほか、ローマ五輪でアメリカ代表ヘッドコーチを務めたピート・ニューウェルを技術顧問として招き、ディフェンスやフォーメーションプレーの指導を仰いだ。

 優勝候補の大本命はもちろんアメリカ。オスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)やジェリー・ウエスト(元ロサンゼルス・レイカーズ)、ジェリー・ルーカス(元ロイヤルズほか)らスター級が集まった1960年に比べれば格は落ちたが、それでもチーム最年少ながら主将に任命されたビル・ブラッドリー(プリンストン大)をはじめ、ウォルト・ハザード(UCLA)、メル・カウンツ(オレゴン州大)ら、NBAドラフトで1巡目指名を受けた大学生が7人。残る5人は実業団チーム所属のベテラン勢と、まずまずの顔ぶれが揃っていた。

 公民権運動が高まりを見せていた時期とあって、「黒人選手が参加しないのではないか」との噂も流れたが、ハザードらは無事代表入り。合宿が行なわれた場所は、よりによってハワイのパールハーバー(真珠湾)でもあった。
 
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