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実力はリーグ有数も、乱闘や罰金、出場停止は不可避? NBA歴代“トラブルメーカーチーム”を選定!<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.07.20

問題児を地で行くロッドマン(左)、スプリーウェル(右上)、アーテスト(右下)ら、“最凶メンバー”が名を連ねた。(C)Getty Images

 近年のNBAは品行方正で、トラブルとは無縁のクリーンな選手が増えている。もし何か問題を起こせば、情報はたちまちネット上に広まり"炎上"し、選手や所属するチームのイメージ低下を招くからだ。

 しかし、一昔前のNBAでは、コート内外で世間を騒がせた問題児が多くいた。『THE DIGEST』では、これまで様々なカテゴリー別にベスト5を選出してきたが、今回はトラブルメーカーのベストチームを紹介。相手チームを恐れさせ、コーチを悩まし、時にはチームメイトやファンにも被害を与える"最凶メンバー"は?
 
【ポイントガード】
マイケル・レイ・リチャードソン

1955年4月11日生。196cm・86kg
NBAキャリア:1978~86
キャリアスタッツ:556試合、平均14.8点、5.5リバウンド、7.0アシスト、2.6スティール

 1970~80年代のNBAには、ドラッグでキャリアを台無しにした好選手が何人もいた。リチャードソンもその1人。78年のドラフト4位でニューヨーク・ニックスに入団し、2年目には平均10.1アシスト、3.2スティールの両部門で1位。得点力も高く、80年から3年連続でオールスターに出場した。

 ラリー・バードに「この星で最高の選手」と言われたほどだが、コカインに耽溺してニックスを追われ、矯正施設への入退所を繰り返す。ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ在籍時の85年は3度目のスティール王となり、カムバック賞も受賞したが、翌86年に3度目の薬物違反によって永久追放処分。83年に厳格化された麻薬対策による、最初の処罰者となってしまった。

 その後もヨーロッパで46歳までプレーしたが、マイナーリーグのコーチ時代にもユダヤ人への差別発言で処分されている。ロッカールームに装填された拳銃を持ち込み、50試合出場停止を食らったギルバート・アリーナスも相当なものだった。

【シューティングガード】
ラトレル・スプリーウェル

1970年9月8日生。196cm・86kg
NBAキャリア:1992~2005
キャリアスタッツ:913試合、平均18.3点、4.1リバウンド、4.0アシスト
 
 制裁決定時点で最長となる、1年間の出場停止を科された選手である。92年にゴールデンステイト・ウォリアーズに入団、2年目は平均21.0点、2.2スティールでとオールNBA1stチーム&オールディフェンシブ2ndチームにも選出された。

 だが、とげとげしい性格が災いし、スター選手のティム・ハーダウェイやドン・ネルソンHCとの確執が発生。そして97年12月、ネルソンの後任HCだったPJ・カーリシモに練習中叱責されてブチ切れ、コーチの首を絞める蛮行に至る。これにより冒頭に記した厳罰を下されたが、その後68試合に減刑された。

 もちろんウォリアーズに居場所はなく、スターの座からも転落したかに思えたが、ニックスに拾われると99年のプレーオフで大活躍。第8シードのチームをファイナルまで導き、華麗な復活を遂げた。しかしながら2002年にはケンカで手を負傷したままトレーニングキャンプに現われ、報告義務を怠ったとの理由で25万ドルの罰金を科されるなど、トラブルとは縁が切れなかった。
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