NBA

スパーズを常勝軍団へと導いた最強ビッグマン、ティム・ダンカン指名をめぐるドラフト裏話【NBAドラフト史|1997年】

大井成義

2019.12.26

全チームの垂涎の的だったダンカン。スパーズ入団後はその評価に違わぬ活躍ぶりでチームを5度優勝に導いた。(C)Getty Images

■スパーズがプライドを捨てて獲りにいったカレッジ選手

 2018-19シーズン終了時点で、NBA史上最も高い通算勝率を誇っているチームは、白と黒の常勝軍団サンアントニオ・スパーズである。ABAからNBAに合流した1976年以降の勝率62.2%は、2位ロサンゼルス・レイカーズ(59.4%)や3位ボストン・セルティックス(59.0%)といった古豪を抑えて堂々の1位。ここ3シーズンこそ陰りが見えるものの、1997-98から2016-17シーズンまでの19年間の安定感は凄まじく、2位ダラス・マーベリックスの勝率60.7%、3位レイカーズの58.7%を大きく引き離し、71.2%という驚異的な数字を残している。大崩れすることなくコンスタントに勝利を重ねるという意味において、スパーズは歴代最強のフランチャイズのひとつと言っても過言ではないだろう。

 そんな安定感抜群のスパーズだが、年別成績一覧を眺めていると、妙なシーズンがあることに気付く。それは1996-97シーズン。球団史上最も勝率が低く(24.4%/20勝62敗)、プレーオフ進出を逃した最後の年でもある。その前年が59勝、翌年に56勝をマークしていることを考えると、その異変ぶりはより際立つ。

 ここまで負けが込んだ最大の理由は、主力のデイビッド・ロビンソンやショーン・エリオットをケガで長期間欠いたからだった。その一方で、シーズン終了後のドラフトに焦点を当て、レギュラーシーズンを捨てた、すなわちタンキング(タンク=試合にわざと負けること)によるものだと考える人は多く、一部では定説となっている。
 
 同じように、セルティックスも球団史上最低成績となる15勝67敗でシーズンを終えたが、こちらは当時のHC、ML・カーが、後にタンキングによる大負けだったことを認めている。セルティックスは翌シーズンから、全米屈指の若手エリート・ヘッドコーチ(HC)、リック・ピティーノを新HC兼球団社長として招聘することが決まっていた。
 
 2001年、『ボストン・ヘラルド』にカーが語ったところによると、フロント陣はピティーノにドラフト1位指名を与えたいがため、意図的に試合を落とさせたのだという。

 その結果、マーベリックスとのトレードで手にした1巡目指名権と合わせて、36.31%という極めて高い1位指名権獲得率を得ることに成功する(スパーズは2番目に高い21.6%)。なお、14勝68敗でレギュラーシーズン最下位だったバンクーバー・グリズリーズ(現メンフィス・グリズリーズ)には、前年度リーグに新加入した際に結んだ協定により、1位指名権は付与されないことになっていた。

 常勝軍団や名門チームがプライドを捨ててまで獲りに行ったカレッジプレーヤー、それはウェイクフォレスト大4年のビッグマン、ティム・ダンカンだった。

 1980年代、セルティックスはラリー・バードを中心に第3次黄金期を築いたが、次世代エース候補のレン・バイアスやレジー・ルイスの急死という不運も重なり、チームの若返りに失敗。暗黒時代を迎えていた古豪にとって、ダンカンはどんな犠牲を払ってでも手に入れたい逸材だった。