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NBA

バード&マクヘイル&パリッシュの”オリジナル・ビッグ3”は失敗の副産物だった?策士アワーバックによって案じられた”奸計”【NBAドラフト史:1980年】

大井成義

2020.03.02

予想通り1位指名を受けたキャロル。キャリアで残したスタッツは悪くなかったが、マクヘイルとの比較で“外れ1位”の烙印を押されている。(C)Getty Images

予想通り1位指名を受けたキャロル。キャリアで残したスタッツは悪くなかったが、マクヘイルとの比較で“外れ1位”の烙印を押されている。(C)Getty Images

 79年のオフ、セルティックスはフリーエージェント(FA)だったデトロイト・ピストンズのスモールフォワード、ML・カーと契約を結んだ。当時のNBAでは、チームがFAで選手を失った場合、戦力を補填するため新たな所属チームから同等の選手やドラフト権を得ることができるという取り決めがあった。合意に達しない場合は、最終決定権を持つコミッショナーが裁定に乗り出すという、今ではちょっと考えられないルールである。

 紆余曲折の末、ピストンズは3年連続得点王やレギュラーシーズンMVPの獲得経験がある大物、ボブ・マッカドゥーをセルティックスから獲得。セルティックスサイドから見れば、急激な衰えを見せていたマッカドゥーを厄介払いする絶好の機会だった。加えて、ピストンズが持つ80年ドラフト1巡目指名権の獲得にも成功する。
 
 迎えた79-80シーズン、リーグ首位で終えたセルティックスとは対照的に、ピストンズは16勝66敗とダントツ最下位に沈んだ。その結果、セルティックスが受け取っていたピストンズの1巡目指名権は、50%の確率でプラチナカードと化すことになったのだった。

 当時の1位指名権は、両カンファレンスの最下位チーム、もしくは最下位チームからドラフト権を譲り受けていたチームの間で、コインフリップによって争われた。ウエスタン・カンファレンス最下位、ユタ・ジャズのフランク・レイデンGMが娘のアドバイスに従い表をコールしたところ、結果は無情にも裏。貴重な1位指名権は、バードの入団により驚異的なV字回復を遂げていたセルティックスの手に渡る。

 80年NBAドラフトの1位指名候補筆頭は、パデュー大4年の7フッター、ジョー・バリー・キャロル。大学4年間の平均成績は17.7点、9.3リバウンドと、飛び抜けた数字ではなかったが、攻守のバランスが取れた選手で、4年時にはオールアメリカ1stチームに選ばれている。

 次いで2位候補には、80年のNCAAトーナメントでルイビル大に初優勝をもたらし、ファイナル4のMVPに選出されたダレル・グリフィスの名前が挙がっていた。身長193cmのシューティングガードはずば抜けた身体能力を持ち、アクロバティックなダンクを決めまくることから、付いた渾名が“ドクター・ダンケンシュタイン”。
 
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