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NBA

バード&マクヘイル&パリッシュの”オリジナル・ビッグ3”は失敗の副産物だった?策士アワーバックによって案じられた”奸計”【NBAドラフト史:1980年】

大井成義

2020.03.02

ドラフト当日のトレードで、パリッシュはセルティックスに入団。(C)Getty Images

ドラフト当日のトレードで、パリッシュはセルティックスに入団。(C)Getty Images

 だが、これしきのことでへこたれるアワーバックではなかった。次に狙いを定めたのが、ミネソタ大4年のパワーフォワード/センターのケビン・マクヘイル。様々なテクニックを駆使して得点を重ねるインサイドのプレーには目を見張るものがあり、ディフェンス面でもNBAで一流になれるだけの能力を秘めている、そうアワーバックは感じ取っていた。

 ただし、マクヘイルを獲得するために1位指名権を持っている必要はなく、海千山千のアワーバックはすぐさまトレードを画策。彼が取引相手に選んだのは、3位指名権を有していたゴールデンステイト・ウォリアーズだった。
 
■策士アワーバックの奸計に陥り、ハズレを掴まされたウォリアーズ

 アワーバックは1位候補キャロルの素質と将来性に疑問を持っていた。にもかかわらず、ウォリアーズ首脳陣にはキャロルがいかに素晴らしい選手であり、輝かしい未来が待っているか言い聞かせ、セルティックスに有利なディールをまんまとまとめ上げてみせた。

 ドラフト前日、セルティックスが持つ1位および13位の指名権と、ウォリアーズの3位指名権プラス5年目のセンター、パリッシュのトレードが成立する。パリッシュはアワーバックが長らく興味を抱いていた選手だった。

 パリッシュはウォリアーズでの4年間で、オールスターに選ばれたり、華々しい活躍を見せたわけではなかった。しかし、モーゼス・マローン(ヒューストン・ロケッツ)やカリーム・アブドゥル・ジャバー(ロサンゼルス・レイカーズ)といったタフなセンターがひしめくウエスタン・カンファレンスにおいて、地味ながら一定の存在感を発揮していた。

 直近2シーズンの成績は、平均17.1点、11.5リバウンドと、見方によっては十分な働きを示していた。何より、パリッシュのストイックなプレースタイルと、寡黙で思慮深い人間性にアワーバックは惚れ込み、新鋭バードの片腕に最適な人物であると踏んでいたのだった。

 80年6月10日、NBAドラフトはニューヨークのミッドタウンにあるシェラトンセンターホテルで開催された。この年、テープディレイ方式ではあったが、USAネットワークによりドラフトの様子が初めて全米へテレビ中継されている。
 
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