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NBA

アイザイア・トーマスに加え、変わり種が多く指名された“異色選手の当たり年”。日本人初指名“伝説の巨人”の名も【NBAドラフト史:1981年】

大井成義

2020.04.07

1位のアグワイアはマブズで点取り屋として活躍した後、1989年にピストンズに移籍。アイザイアとともに2連覇を達成した。(C)Getty Images

1位のアグワイアはマブズで点取り屋として活躍した後、1989年にピストンズに移籍。アイザイアとともに2連覇を達成した。(C)Getty Images

 1981年のNBAドラフト1位指名権は、1980-81シーズンに15勝しかできず、ウエスタン・カンファレンスのダントツ最下位に沈んだマーベリックス(マブズ)と、21勝でイースト最下位となったピストンズの間で、コインフリップ方式により争われた。表をコールしたピストンズが負け、1位指名権は創設2年目の新生チーム、マブズの手に渡る。

 この年の1位指名候補は、2人のアンダークラスマン(大学3年生以下の選手)に絞られていた。まずはデポール大3年のスモールフォワード、点取り屋のマーク・アグワイア。大学3シーズンの平均成績は24.5点、7.9リバウンドで、1年時にはチームをNCAAトーナメントのファイナル4へ、2、3年時にはAPランキングの年間1位へと導いている。

 身長198cm、体重105kgと、どっしりとした体型のアグワイアには、常にオーバーウェイトの問題がつきまとっていたものの、その懸念材料を補って余りあるパワーとスキルを持ち、エネルギッシュなオールラウンダーとして高い評価を得ていた。
 
 もう1人のトッププロスペクトは、後に“NBA偉大な選手50人”に選ばれ、歴代屈指のポイントカードの1人と謳われることになるアイザイア・トーマス。彼にとって、ドラフトは待ち焦がれていたイベントだった。 

 全米で最も治安の悪い地域のひとつ、シカゴのウエストサイドにあるゲットーに、9人兄弟(兄が6人、姉が2人)の末っ子としてアイザイアは生まれ育った。3歳の時に父が家を出て行き、生活は困窮を極める。その酷烈な環境が、彼の飽くなきハングリー精神や極端な負けず嫌いを形成した。

 2人の兄がバスケットボールの名手で、特に長兄のロードヘンリーからは多くのことを学んだ。アイザイアはメキメキと上達していき、いつしか地元では知らない者がいないほどの存在になっていた。セント・ジョセフ高に入学すると、すぐさまチームの中心選手となり、2年時には州大会の決勝に進出。卒業時のパンアメリカン・ゲームでアメリカ代表に選ばれ、その名を全米に轟かせた。
 
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