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NBA

アイザイア・トーマスに加え、変わり種が多く指名された“異色選手の当たり年”。日本人初指名“伝説の巨人”の名も【NBAドラフト史:1981年】

大井成義

2020.04.07

バスケ、野球、アメフトの“三刀流”選手だったエインジ。大学時代にはMLBでプレーした経歴を持つ。(C)Getty Images

バスケ、野球、アメフトの“三刀流”選手だったエインジ。大学時代にはMLBでプレーした経歴を持つ。(C)Getty Images

 100以上の大学からリクルートされたアイザイアが選んだ進学先は、熱血コーチとして有名なボブ・ナイト率いる強豪インディアナ大だった。1年時にはNCAAトーナメントのスウィート16に、2年時には優勝をチームにもたらし、トーナメント最優秀選手賞を受賞。2年時の平均成績は16.0点、5.8アシストと、突出した数字をマークしたわけではなかったが、圧倒的なテクニックと勝負強さ、そして卓越したリーダーシップは他の追随を許さなかった。

 NCAAタイトルを手土産に、ナイトHCの反対を振り切ってNBAドラフトへのアーリーエントリーを宣言する。家族を経済的に助けたいというのが、その最大の理由だった。アイザイアは幼少の頃から、この瞬間が訪れる日を、首を長くして待っていた。

 当時のドラフト予想をインターネットで調べると、2通りの説に行き当たる。ひとつは、アグワイアが1位指名の最有力候補であり、それにアイザイアが続くというもの。もうひとつは、アイザイアこそが1位指名の本命だったが、彼の取った身勝手な行動が問題視され、それゆえ1位指名はアグワイアになるだろう、という説。
 
 1位指名権を持つマブズは、当初アイザイア獲得に動いていた。しかし、当のアイザイアは創設して間もない弱小チームには行きたくないと言い放つ。それだけに留まらず、地元の球団であるブルズ入りを熱望していると公言し(6位指名権を保有)、ピストンズのジャック・マクラスキーGMとの面談では、獲得を諦めさせようと、わざと頓珍漢な受け答えをしたのだという。2014年に放映された『ESPN』のドキュメンタリーフィルム“Bad Boys”で、アイザイアはトレードマークの“悪魔の笑み”を浮かべながら、そう回想している。

 6月9日、1981年NBAドラフトはニューヨークのグランドハイアット・ホテルで開催された。マブズは大方の予想通りアグワイアを1位で指名する。アンダークラスマンが1位で指名されたのは、1979年のマジック・ジョンソン以来史上2人目。

 続いてピストンズはアイザイアを、3位のネッツはメリーランド大3年のパワーフォワード、バック・ウィリアムズを指名した。トップ3が全員4年生以外というのは、史上初めての出来事だった。

 2巡目31位でセルティックスに指名されたのが、ブリガムヤング大4年のダニー・エインジ。冬は大学でバスケットボールに打ち込み、夏はMLBのトロント・ブルージェイズでプレーするという傑出したアスリートだった。高校時代にはアメフトでも鳴らし、野球、バスケ、アメフトの3競技でオールアメリカンに選ばれた、史上唯一の選手だそうだ。
 
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