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NBA

ガーネット、ウォーレスをはじめ、キャリア15年以上の“古強者”を多数輩出した1995年【NBAドラフト史】

大井成義

2020.04.28

スコアラーとして鳴らしたスタックハウスは、6年目に自身最高の平均29.8点を記録。球宴にも2回出場した。(C)Getty Images

スコアラーとして鳴らしたスタックハウスは、6年目に自身最高の平均29.8点を記録。球宴にも2回出場した。(C)Getty Images

 この年のドラフトロッタリーは、高確率順にクリッパーズ、ブレッツ(現ウィザーズ)、ウルブズ、シクサーズ、ウォリアーズとなっていた。抽選の結果、5番目の確率(9.4%)だったウォリアーズが1位指名権を奪取。2位クリッパーズ、3位シクサーズ、4位ブレッツ、5位ウルブズに指名順が確定する。

 ドラフト1位候補は、そのシーズンのネイスミス賞をはじめ、最も多くのアウォードを受賞したメリーランド大2年のジョー・スミス。続いて、激戦区アトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)のリバウンド王に輝いたアラバマ大2年のアントニオ・マックダイス、ファイナル4進出の原動力となったノースカロライナ大2年のジェリー・スタックハウスとラシード・ウォーレスらの上位指名が確実視されていた。

 そして注目選手がもう1人。20年ぶりに高校から直接NBAに挑戦する、弱冠19歳のガーネットである。

 南部のサウスカロライナ州で生まれ育ったガーネットは、中学からバスケットボールを始め、高校で初めて組織的なプレーを体験するという、他の子どもたちよりだいぶ遅れてのスタートだった。それでも高校生離れしたサイズと運動能力、そして天賦の才を授かったガーネットは、すぐさま頭角を現わし、州のミスターバスケットボールに選出される。
 
 だが最終学年を控えた春、校内で黒人生徒が白人生徒に対して起こした暴行事件により3人が逮捕され、ガーネットもその中の1人に含まれてしまう。本人は事件に関与していなかったと主張するも、この一件は順風満帆だった彼のバスケットボール人生に暗い影を投げかけた。

 事件の数か月後、シカゴで開催されたナイキのサマーキャンプにKGは参加した。そこで出会ったコーチや選手の勧めもあり、心機一転を図るべく、ガーネットは母や妹と一緒にシカゴに移り住む決意をする。

 転校先のファラガット・アカデミー高でもずば抜けたプレーを披露し、マクドナルド・オールアメリカンのMVPを獲得すると、ガーネットへの注目度は一段と増していった。最終学年の成績は平均25.2点、17.9リバウンド、6.7アシスト、6.5ブロック。1つのクォーターだけでトリプルダブルを達成したこともあった。

 当時のガーネットを知る人物に、ナイキの重役を務めていたスニーカー界の大物、ソニー・バカーロがいる。彼が2016年に語ったところによると、KGは憧れていたミシガン大への進学も考えていたそうだ。しかし、大学進学のために必要な適性試験の点数が足りなかったこともあり、プロ入りを決断するに至ったのだという。

 そんなガーネットの挑戦を、精神的にも肉体的にも未成熟であるとして、一部の人々は懐疑的に見ていた。ドラフト直前に発売された『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙をガーネットが飾っている。そこに書かれたメインコピーは、〝READY OR NOT…〞。
 

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