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NBA

1位候補が乱立した2006年ドラフト。印象に残るのは「神様ジョーダンの見る目の欠如」と「ケガに泣いた悲運のスコアラー」【NBAドラフト史】

大井成義

2020.04.09

2006年のドラフトは、何人もの1位指名候補が乱立する混沌とした状況だった。(C)Getty Images

2006年のドラフトは、何人もの1位指名候補が乱立する混沌とした状況だった。(C)Getty Images

 いくら不作の年であっても、ドラフトロッタリーが開催される頃には、確固たるNo.1候補が存在するのが普通だ。しかし、2006年のドラフトは様相が異なっていた。1位候補4人という混沌とした状況。そのなかでドラ1の栄誉に授かったのは、イタリア出身のアンドレア・バルニャーニだった。

■本命不在で複数の選手が1位指名候補に挙げられる

 2001年から2005年までのNBAドラフト1位指名選手は、高校生が3人(クワミ・ブラウン/元ワシントン・ウィザーズほか、レブロン・ジェームズ/現ロサンゼルス・レイカーズ、ドワイト・ハワード/現レイカーズ)、外国人2人(ヤオ・ミン/元ヒューストン・ロケッツ、アンドリュー・ボーガット/元ミルウォーキー・バックスほか)という、ある種異例な事態が続いていた。

 そんな状況に危機感を抱いたリーグと選手会は、2005年7月、高校から直接NBAに挑戦する、いわゆる“プレップ・トゥ・プロ”の門を閉ざすという策に出る。
 
 迎えた2006年、かつてのように大学でみっちりと鍛え上げられた選手が1位に選ばれると思いきや、蓋を開けてみればアメリカの大学でプレー経験のない、しかも外国人選手が再びドラ1に。リーグの期待とは真逆の、まるでコントのオチのような結末に、ルール改正に躍起になったお偉方はさぞかしズッコケたのではなかろうか。

 2006年度のNBAドラフトロッタリーは、5月23日、ニュージャージー州セコーカスにあるNBA TVの施設で行なわれた。1位指名権獲得の最高確率(25.0%)を有していたのは、レギュラーシーズンを21勝61敗の最下位で終えたポートランド・トレイルブレイザーズ。以下ニューヨーク・ニックス、シャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)、アトランタ・ホークス、トロント・ラプターズと続いた。

 抽選の結果、1位指名権はお約束のごとく最高確率のチームには行かず、確率8.8%で5番目だったラプターズに転がり込む。1995年に創設されたラプターズは、翌1996年のドラフトロッタリーで見事1位指名権を引き当てたが、リーグの規定により1996~98年の3年間は1位指名権を獲得できない取り決めになっていた。1996年のドラ1はアレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)。
 
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