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NBA

主役の座と引き換えにグラントが掴んだ“4つの優勝リングと名脇役の称号”【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.05.07

マジック移籍後、1995年のプレーオフでは古巣ブルズを撃破。しかし翌年はスウィープで返り討ちに遭ってしまう。(C)Getty Images

マジック移籍後、1995年のプレーオフでは古巣ブルズを撃破。しかし翌年はスウィープで返り討ちに遭ってしまう。(C)Getty Images

 また、フィル・ジャクソン・ヘッドコーチがグラントをオフェンスの第3オプションとみなし、積極的にシュート機会を与えないことも気に入らず、球団首脳陣から正当な敬意を払われていないとも感じていた。親友だったピッペンとも次第に疎遠となり、いつしか「ホーレスはただのチームメイト」と言われるようになってしまう。

 ジョーダンが引退した1993-94シーズンはグラントにとって契約最終年だったが、ここで彼は自己最高の平均15.1点、11.0リバウンドを記録し、念願のオールスター初出場も果たす。だがその一方で、明らかな症状もないのに体調不良を訴え、試合を休むことがたびたびあった。“フリーエージェント(FA)になる前に大きなケガをしたくないからだ”と噂され、オーナーのジェリー・ラインズドーフからは「ホーレスが休みさえしなければ、我々はリーグ最高勝率を残せたはずだ」と、4連覇を逃した戦犯として名指しで批判された。
 
■自身の後釜が人気者となったことに、臍を噛む思いをしたはず

 契約延長交渉では、ラインズドーフとの直接会談で一度は合意しながら、代理人と相談したいとの申し出が受け入れられなかったために破談となり、最終的にはオーランド・マジックへの移籍を決める。

「俺のほうから見限ったんじゃない。彼らが俺との関係を断ち切ったんだ」とグラントが怒りを爆発させれば、ラインズドーフも約束を守らなかったとしてグラントを痛烈に非難。実に後味の悪い別れになった。

 とはいえ、若き逸材シャキール・オニールとアンファニー・ハーダウェイを擁して上り調子だったマジックにとって、実力と経験を兼ね備えたグラントの加入は願ったり叶ったりだった。迎えた1994-95シーズン、マジックはイースタン・カンファレンス最高勝率をマークし、プレーオフのカンファレンス準決勝では、ジョーダンが現役復帰したブルズを粉砕。このシリーズで平均18点、11リバウンドと大暴れしたグラントは「個人的な感情は何もない」と口では言いながらも、心のなかでは快哉を叫んでいたに違いない。
 
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