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NBA

主役の座と引き換えにグラントが掴んだ“4つの優勝リングと名脇役の称号”【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.05.07

2001年にはレイカーズの一員として、4度目のリーグ制覇を成し遂げた。(C)Getty Images

2001年にはレイカーズの一員として、4度目のリーグ制覇を成し遂げた。(C)Getty Images

 しかしながら、翌1995-96シーズンのプレーオフではブルズにスウィープで返り討ちに遭う。しかもそのオフには、シャックがFAとなってレイカーズへ移籍。失速するマジックを尻目に、ブルズは1996~98年にかけて2度目のスリーピート(3連覇)を達成するのだが、とりわけ自分の後釜としてPFを務めたデニス・ロッドマンが、世界的な人気者となって持て囃されたのは、グラントにとっては臍を噛む思いだったろう。

 その後シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)を経て、2000-01シーズンにレイカーズへ移籍。再びジャクソンの下でプレーしたグラントは、自身4度目の優勝を味わう。翌年にはマジックへ復帰、最後はジャクソンの要請で再度レイカーズに呼び戻され、2004年を最後に現役を引退した。
 
 弟のハービーは引退後に指導者となったが「コーチ業に興味はあるけど、どれだけ大変な仕事か、嫌と言うほど弟に聞かされているからね。1日14時間もコーチングやスカウティングに費やすのは御免だな」と話すなど、兄は同じ道に進むつもりはなさそうだ。その代わり、高い知名度を生かして世界中を飛び回り、NBAの魅力を伝える親善大使として活動。2016年にはピッペン、トニー・クーコッチとともに、ラインズドーフのスペシャル・アドバイザーの肩書きでブルズに戻っている。

「ジョーダンがいるチームでは、ほかのすべての選手は影の存在にならざるを得ない。その事実がグラントには受け入れられなかったのだ」と、前出のハルバースタムは記している。

 主役になれなかったのは不本意だったかもしれない。それでも、最高の脇役として讃えられるのも悪くはなかったと、4つのチャンピオンリングを眺めながら、今ではグラントもそう思っているのではないだろうか。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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