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NBA

リーグ王者が1位指名権を手にした史上唯一の珍事。レイカーズが隆盛を築くきっかけとなった1982年ドラフトを振り返る【NBAドラフト史】

大井成義

2020.05.25

意外な出世を遂げたのは4巡目72位指名のマーク・イートン。最優秀守備選手賞を2度受賞するなど守備の鬼として活躍した。(C)Getty Images

意外な出世を遂げたのは4巡目72位指名のマーク・イートン。最優秀守備選手賞を2度受賞するなど守備の鬼として活躍した。(C)Getty Images

 まずは1958年、前本拠地ミネアポリス時代のエルジン・ベイラー。ラリー・バードと並び、史上最高のスモールフォワード(SF)の1人とされている。続いて79年のマジック・ジョンソン。彼についての説明は不要だろう。3人目が、今回紹介する1982年のドラ1、“ビッグゲーム・ジェームズ”ことジェームズ・ウォージー。

 レイカーズは直前の1981-82シーズンにタイトルを獲得している。優勝チームが同年のドラフトで1位指名権を手にしたのは、後にも先にもこの年だけだ。リーグを代表するベテランセンター、カリーム・アブドゥル・ジャバーに若き天才司令塔マジックが加わったレイカーズは、1979-80シーズンからの3年間で2度の優勝を飾り、新たな黄金期に突入していた。そんな強豪チームに、いったいどのような経緯でドラフト1位指名権が転がり込んできたのだろうか。
 
■“ショータイム”レイカーズに最適のウォージーが1位指名

 1980年2月、イースタン・カンファレンスでプレーオフ進出を目指すキャブズと、ウエタン・カンファレンスの首位争いを演じるレイカーズの間でささやかなトレードが成立する。キャブズの控えポイントガード(PG)、ブッチ・リー(シーズン平均1.3点、0.9アシスト)+1982年のドラフト1巡目指名権と、レイカーズの控えパワーフォワード(PF)、ドン・フォード(同4.2点、2.5リバウンド)+1980年1巡目指名権の交換だった。この地味なトレードが、後のレイカーズに思いがけない幸運をもたらすことになる。

 2年後の1981-82シーズン、キャブズがリーグ最下位となる15勝67敗の成績で終えると、レイカーズが受け取っていた1巡目指名権はプラチナチケットと化す。当時はまだロッタリー制度がなく、東西両カンファレンスの最下位チームがコインの裏表で1位指名権を争う抽選方法、“コインフリップ”が採用されていた。西の最下位はサンディエゴ(現ロサンゼルス)・クリッパーズ。

 レイカーズが狙いを定めたのは、当時“史上最高のカレッジプレーヤー”と謳われていたバージニア大3年のラルフ・サンプソンだった。彼にとっても王者レイカーズは意中の球団であり、1982年ドラフトへのエントリーに前向きな姿勢を見せていた。是が非でもサンプソンを手に入れたかったレイカーズは、クリッパーズに対し600万ドル+αを提示して指名権の譲渡をオファーしたが、あえなく拒否される。

 サンプソンにとって、弱小球団であるクリッパーズは絶対に行きたくないチームだった。コインフリップでクリッパーズが勝つ確率は5割。そのリスクを恐れたサンプソンは、悩みに悩んだ末、1982年度のエントリーを見送り、もう1年大学に残る決意をする。
 
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