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NBA

リーグ王者が1位指名権を手にした史上唯一の珍事。レイカーズが隆盛を築くきっかけとなった1982年ドラフトを振り返る【NBAドラフト史】

大井成義

2020.05.25

トップピックの栄誉はウォージーに譲ったカミングスだったが、平均23.7点、10.6リバウンドを記録する活躍で見事新人王に。(C)Getty Images

トップピックの栄誉はウォージーに譲ったカミングスだったが、平均23.7点、10.6リバウンドを記録する活躍で見事新人王に。(C)Getty Images

 そして迎えたコインフリップ。放り投げられたコインは、レイカーズが選んだ表を上にして止まった。サンプソン獲得というベストシナリオは成就しなかったものの、3週間前にチャンピオンの座に就いたばかりのリーグ王者が、ドラフト1位指名権を手にするという変事が発生したのだった。

 この年のドラフトには3人の有望選手がいた。まずはノースカロライナ大のウォージー。2年時にNCAAトーナメントで準優勝を飾り、3年時には優勝の立役者として(決勝点を決めたのはマイケル・ジョーダン)、トーナメントの最優秀選手賞を受賞している。続いてデポール大のテリー・カミングス、そしてジョージア大のドミニク・ウィルキンス。その中から1位が選ばれることは確実視されていた。

 3人は学年(3年)、ポジション(SFもしくはPF)、サイズ(205cm、95kg前後)、スタッツ(平均14~22点、7~10リバウンド)、身体能力の高さなど、多くの点で似通っていたが、プレースタイルは大きく違っていた。スピードと突破力のウォージー、屈強でスキルもあるカミングス、パワーと破壊力のウィルキンス。それぞれが魅力と将来性に富んだ若者だった。
 
 1982年6月29日、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるフェルト・フォーラムでNBAドラフトは開催された。コミッショナーのラリー・オブライエンから最初に読み上げられた名前は、ジェームズ・ウォージー。

 この年のプレーオフで見せた快進撃により、レイカーズは“ショータイム”というニックネームで呼ばれ始めていた。若きエリートHCパット・ライリーの指揮の下、マジックを先頭に繰り広げられるアップテンポでエキサイティングなファーストブレイクや爆発的なオフェンスに、ウォージーのプレースタイルはピッタリだった。

 レイカーズはその後の9年間で7度のファイナル進出と3度の優勝を飾り、“西の雄”としてリーグに君臨するのだが、ウォージーはその中核選手の1人として欠かせない存在となった。また、重要な試合のここ一番で見せる圧倒的なパフォーマンスにより、“ビッグゲーム・ジェームズ”というニックネームを頂戴している。

 2位でクリッパーズに入団したカミングスは、1年目からチームの中心選手として期待以上の活躍を見せ、新人王を受賞。平均23.7点、10.6リバウンドはどちらもチームハイであり、またキャリアハイでもあった。その後、1982年組では最長となる18シーズンをNBAで過ごしている。
 
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