専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

寡黙なブルーワーカー、ビル・カートライト。順風満帆だったキャリアが、起用法と故障癖で…【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.05.29

 同大ではフォワードのジェームズ・ハーディ(元ユタ・ジャズ)とともにチームを牽引すると、2年時には29連勝を記録し、全国ランキング1位の座に君臨。カートライトとハーディのコンビは、大学の偉大な先輩ビル・ラッセルとKC・ジョーンズ(ともに元ボストン・セルティックス)の再来とまで言われた。

 NCAAトーナメントでは2度にわたってスウィート16で敗れ去ったものの、在学4年間で平均19.1点、10.2リバウンド、さらに通算2116得点の学校記録も樹立。そして母の望み通り、社会学の学位も手に入れた。
 
■2人のスターに隠れながらも、新人王に匹敵する活躍を披露

 満を持して臨んだ1979年のNBAドラフトでは、全体3位指名を受けてニューヨーク・ニックスに入団。当時のヘッドコーチ(HC)だった名将レッド・ホルツマンは、ビッグマン離れしたシュート力を見込んでカートライトを中心にした戦術を取り入れる。

 その結果、1年目から平均21.7点、8.9リバウンドの活躍を見せ、オールスターにも選出。不運にもこの年はマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)とラリー・バード(元セルティックス)のルーキーイヤーと重なり、2人の陰に隠れてしまったが、「普通の年だったらカートライトが新人王を獲っただろう」とも言われた。

 プレーはもちろん人間性にも優れていたカートライトに対し、1982~86年にニックスのHCを務めたヒュービー・ブラウンは「プロフェッショナルという点ではNBAでも5本の指に入る。いつでも全力を尽くし、練習にも遅れず、コーチ批判も一切しなかった」と高く評価。知的で洞察力に富み、音楽とチェスを愛し、寡黙で感情を表に出さない彼は、ロッカールームでも一目置かれる存在だった。

「いつでも勝つために必要なことをする。オープンの選手がいればパスをするし、シュートを打つ必要があればそうするまでだ」

 だがそう本人が語ったように、エゴのなさ、そして適応能力の高さが逆に仇となる。指揮官たちの要求に応えようとするあまり、カートライトは自身のプレースタイルを見失ってしまったのだ。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号