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NBA

苦境を乗り越え、ユーロリーグの“キング”へ。コート内外で愛されたセオドロス・パパルーカス物語

小川由紀子

2020.08.31

「自分の仕事は、コートに出てゲームのリズムを変え、自分たちの展開を好転させることだ。大切なのは誰がスタートするかじゃなく、誰が最後に試合を決めたか、だよ」

 出場時間の多い、少ないではなく、コートにいる瞬間すべてでチームを救えるプレーができるかどうかが選手の質を決める。偉大な指導者たちにそう教わってここまできたと、パパルーカスは話していた。

 自らシュートにいける場面でも勝利を優先しパスを選ぶことも少なくなかった。しかし、前述の“ここぞ”という場面では、火がついたように点を取りまくっていたものだ。2007年の欧州選手権、準々決勝のスロベニア戦は、まさにそんな試合だった。

 ギリシャはディフェンディングチャンピオンではあったが、この大会は序盤から調子が上がらず。一方のスロベニアは、ラドスラフ・ネステロビッチ(元ミネソタ・ティンバーウルブズほか)の活躍で勢いに乗っていた。この試合も、序盤からスロベニアが主導権をキープ。残り1分で7点のビハインドを背負った時には、ギリシャ人記者たちも「この試合は終わった」と頭を抱えていた。
 
 しかしそこから、パパルーカスのワンマンショーが開演する。

 相手のマークが手薄だったポジションから3ポイントを沈め4点差に迫ると、スティールで相手の攻撃を防ぎ、続くオフェンスでニコス・ジシスの長距離砲をお膳立て。最後は自ら突っ込んでのレイアップを決め、63-62で逆転勝利をもぎ取った。試合後の「負けを意識した時点で負けたも同然だ」というコメントは、まるで『SLAM DUNK』の安西先生のようだった。

 パパルーカスがバスケットボールを始めたのは1987年、10歳の時だ。

 ソビエト連邦を破りギリシャが欧州選手権で優勝した翌日、セオドロス少年はボールを持って近所のバスケクラブに飛び込んだ。この時、彼は少年たちの中で一番大きかったが、コーチはすぐに彼の素質を見抜き、ポイントガードをやらせたそうだ。

「普通だったら、僕の身長なら違うポジションをやらされていたはず。そうしたら、こうやって開花することはなかっただろう」とパパルーカスは振り返っている。
 
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