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NBA

苦境を乗り越え、ユーロリーグの“キング”へ。コート内外で愛されたセオドロス・パパルーカス物語

小川由紀子

2020.08.31

 実際に話してみると、評判通りびっくりするほど謙虚な人で、自分が成功した理由についても、こう言っていた。

「27、8歳という充実した時期に所属していたチームの成功が重なったから、その現実を上手くハンドルすることができたんだと思う。栄光に浮かれて羽目を外すこともなく、落ち着いてじっくり現状を受け入れることができたからね。20歳くらいの時に大きな成功を掴んでいたら、道を踏み誤っていたかもしれない。ヤナキス(ギリシャ代表監督)やイブコビッチ、メッシーナといった偉大なコーチに恵まれたことも幸運だった」

「自身の能力はNBAには適していない」とアメリカ行きを考えていなかったディアマンティディスと違い、パパルーカスは常にチャンスを伺っていた。ミルウォーキー・バックスのサマーキャンプに参加したこともある。NBAについての思いを尋ねると、こう答えた。
 
「もちろんこれまでも試みたことはある。でも、もう自分は30歳(2007年のインタビュー当時)で、CSKAから素晴らしいオファーを貰っている。NBAからのいいニュースを待っていたが、自分が望むような状況を与えてくれそうなオファーはなかったんだ」

 この時のCSKAとの契約は、3年間で1000万ユーロ。当時のヨーロッパでの最高額だった。しかし、サラリーやプレータイムの問題ではなく、なるべく早く順応できる上に自分のスタイルが生かせ、なおかつ勝てる。そのような状況でプレーできるオファーがなかなか見つけられなかったのだと話した。

「30歳より前にいいオファーを受けていたら、飛びついていたことは確かだ。かといって、まったく可能性を否定しているわけじゃない。何が起こるかなんてわからないからね。例えその時に起こらなかったとしても、本当に起こるべきことは、必ず後になって実現するものだ」

 一度は袖にされたイブコビッチの下でプレーできたのも、そうした運命の巡り合わせだったと彼は言った。

 “苦しい展開や、究極の瞬間に強さを発揮できる真の勝負師”。それがパパルーカスの評価だ。そして“パパルーカスがベンチにいる限り、相手はまだまだ余力を残している”と、敵にプレッシャーを与えた究極のシックスマン。

 彼は、本当にすごい選手だった。

文●小川由紀子

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