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NBA

苦境を乗り越え、ユーロリーグの“キング”へ。コート内外で愛されたセオドロス・パパルーカス物語

小川由紀子

2020.08.31

 しかし“キング”への道は、山あり谷ありだった。

 18歳の時、1部リーグ所属のアンペロキポイからプロデビューしたが、わずか1シーズンで2部に転落。しかし主力が抜けて出場機会が増えたことが成長につながり、翌シーズンはデフニにリクルートされてトップリーグに返り咲いた。ところがそのデフニもまた、1年で2部に転落してしまう。

 21歳になり、小規模のクラブながらチームの主力として自信がつきかけたパパルーカスは、この機会に自分の実力を試そうと、欧州にもその名を轟かす強豪オリンピアコスの門を叩く。当時ヘッドコーチを務めていたのは、世界大会で金銀あわせて6つのメダルをユーゴスラビアにもたらしたデュサン・イブコビッチ。しかし名将はパパルーカスにまったく興味を示さず、門前払いを食らってしまう。
 
 悔しさをバネにデフネでレベルアップに励んだパパルーカスは、その甲斐あって翌シーズン、中堅クラブのパニオニオスに中心選手として迎えられた。そしてそこでの活躍が認められると、3年前には門を閉ざされたオリンピアコスに、破格のオファーで引き抜かれる。すでにイブコビッチはチームを去っていたが、ギリシャ人選手にとって、オリンピアコスの一員となることは成功の証。その頃には、ギリシャ代表でも将来を担う逸材として期待されるようになっていた。

 ところが、またしても1シーズン目を終えた後に問題が発生する。クラブが財政難に直面し、待遇面で折り合いがつかずに移籍を決意する羽目になったのだ。国内最大級のクラブで「これから頂点を極めよう」と意欲を燃やしていた彼のキャリアは、再び宙に浮いてしまった。

 そんな彼の元に、ロシアのCSKAモスクワからオファーが届く。ほかの選手の獲得を考えていたフロントを「なんとしてでも彼が欲しい」と説得したのは、この時のチームのヘッドコーチで、かつてオリンピアコス入りを夢見たパパルーカスを袖にしたイブコビッチだった。彼はパパルーカスの成長を、密かに見守っていたのだ。
 
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