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NBA

“マジックに守備の秘訣を伝授した男”マイケル・クーパー。歩行すら困難だった少年が、レイカーズの主力となるまでの軌跡【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.09.07

 ちなみに、のちにトレードマークとなるハイソックスを穿くようになったのも高校時代。試合がテレビ中継されることになり、白内障を患っている祖母でも、簡単に自分が識別できるようにと考えてのことだった。

 パサディナ・コミュニティ・カレッジを経て進学したニューメキシコ大では、もうひとつの重要な出会いがあった。妻のワンダである。

「いつかNBA選手になるんだと彼は言っていたわ。『体重が75kgほどしかないのに無理よ』と、私も周囲の人たちも思っていたのだけれど」(ワンダ)

 だが、クーパーはその望みを見事に叶える。1978年のドラフト3巡目60位で、地元のレイカーズに指名されたのだ。
 
■得意のディフェンスを磨き、親友マジックに秘訣も伝授

 とはいえ、指名順位からもわかるように、当初はそれほど期待されてはいなかった。その上プロ1年目は内側側副靱帯の損傷によって、シーズンの大半を棒に振ってしまう。さらに再起をかけて臨んだ翌1979年のトレーニングキャンプでは、同年にドラフト1位で入団した大型新人マジック・ジョンソンが話題を独占。クーパーに注目する者など皆無に等しかった。

 当時のレイカーズはバックコートにマジックとノーム・ニクソン、フロントコートにはジャマール・ウィルクス、ジャバーとスター選手が揃っており、無名の若手が定位置争いに割って入るのは容易ではなかった。そこでクーパーは、「少しでも出場時間を得るためには、得意のディフェンスに磨きをかけるしかない」と覚悟を決める。

 もともと身体能力は抜群で、陸上競技の関係者から「走り高跳びの選手としてオリンピックに出られる」とお墨付きをもらうほどだったクーパー。また、試合後には必ずビデオを2回見返し、レフェリーがどんな時に笛を吹くかを徹底的に研究もした。そして実戦では常に集中力を切らさず、マッチアップした相手にまともにシュートを打たせないだけでなく、一瞬の隙を突いてブロックやスティールを連発。そうして徐々にコーチ陣の信頼を勝ち取っていった。
 
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