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NBA

スーパースターは不在もLJ、ムトンボら独特の存在感を放つ選手が揃った1991年【NBAドラフト史】

大井成義

2020.09.29

ディケンベ・ムトンボは、最優秀守備選手賞に4度選出されるなど、ディフェンスに長けたセンターとして1991年組で最も出世。(C)Getty Images

ディケンベ・ムトンボは、最優秀守備選手賞に4度選出されるなど、ディフェンスに長けたセンターとして1991年組で最も出世。(C)Getty Images

■8000人が詰めかけた会場で1位指名を受けたのは本命のLJ

 この年のドラフト1位候補筆頭は、UNLV4年のラリー・ジョンソン(以下LJ)。屈強な肉体にパワーとスピード、テクニックを兼ね備えた、将来のスーパースター候補だった。

 前歯にはめた金歯と頭の剃り込みラインがトレードマークのやんちゃなLJは、バイタリティにあふれ、常に朗らかでいくぶん脳天気な性格は見る者を魅了してやまず、バスケットボールの能力的にもキャラ的にも、将来のNBAを背負って立つ若者の1人と目されていた。身長は公称6フィート7インチ(201㎝)だが、シカゴで行なわれたプレドラフト・キャンプでの計測記録によると、実際は靴下を履いた状態で6フィート5.5インチ(197㎝)だったそうだ。

 LJは、当時アメリカで最も治安の悪い地域のひとつとされていたテキサス州のサウスダラスにあるゲットーで生まれ育った。高校時代にマクドナルドのオールアメリカンに選出されるほどの逸材だったが、学業の問題を抱えていたこともあり、2年制のジュニアカレッジ、オデッサ大に進学。2年時に平均29.8点をマークし、強豪UNLVにリクルートされる。名将ジェリー・ターカニアンHCの下、さらなる飛躍を遂げ、1年目からチームをNCAAトーナメント決勝へと導いた。
 
 決勝の相手は名門デューク大。ここでもLJは22得点、11リバウンドをあげ優勝の立役者に。103対73のスコアは、歴代決勝の中で最大得点差であり、唯一の3桁得点である。翌シーズンは27勝0敗のパーフェクトシーズンを達成するも、連覇を狙ったNCAAトーナメントでは準決勝でデューク大にリベンジを果たされた。

 最終学年の成績は平均22.7点、10.9リバウンド、3.0アシスト。APアウォードこそルイジアナ州大2年のシャキール・オニール(以下シャック)に譲ったものの、ジョン・ウッデンやネイスミスなどその他すべての主要個人アウォードを獲得し、満を持してドラフトに乗り込んだのだった。

 ドラフト1位の本命は確かにLJだったが、前年のデリック・コールマンや翌年のシャックのように、鉄板というわけではなかった。当時のブルズGM、ジェリー・クラウスは『シカゴ・トリビューン』のインタビューで次のように語っている。

「ドラフトの№1ピックは、(1位指名権を獲得したチームが)何を必要としているかによるだろう。PGが必要ならケニー・アンダーソン(ジョージア工科大2年)、PFが必要ならラリー・ジョンソン、SFならビリー・オーウェンス(シラキュース大3年)。そしてもしセンターが欲しいなら、ディケンベ・ムトンボ(ジョージタウン大4年)が№1になる」
 

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