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NBA

スーパースターは不在もLJ、ムトンボら独特の存在感を放つ選手が揃った1991年【NBAドラフト史】

大井成義

2020.09.29

長距離砲の名手としても知られた5位指名のスティーブ・スミスは、1994年世界選手権と2000年五輪で金メダルを獲得した。(C)Getty Images

長距離砲の名手としても知られた5位指名のスティーブ・スミスは、1994年世界選手権と2000年五輪で金メダルを獲得した。(C)Getty Images

 NBAに入ってから頂戴したニックネーム〝Grandmama(グランママ)〞は、コンバースと契約したLJが、おばあちゃんに扮して豪快なプレーを連発するというCMから名付けられたもの。大人気を博した同キャンペーンは、91年から96年まで続いた。

 余談だが、このGrandmamaネタには個人的な思い出がある。1993年の夏、ニューヨークのダウンタウンにあるバッタ屋みたいな洋服屋でセールをやっていたので覗いてみると、Grandmamaの写真がプリントされたコンバースの古いTシャツが1枚だけあった。絵柄のおかしさと安さにつられ、なんとなく買ってみたところ、その後電車の中や道端で見知らぬ黒人から「そのTシャツ、むっちゃクールじゃん!」「それどこで買ったんだ?」「俺も欲しい」と、何回か声をかけられた。後にも先にも、道を歩いていて見知らぬ人から身に付けているものを褒められたのは、あの時だけだ。そのTシャツはヨレヨレになるまで着倒したが、捨てられずにまだ取ってある。

 LJは、1993年には当時のNBA歴代最高額となる12年8400万ドルの契約をホーネッツと結ぶ。1994年にはバスケットボール専門誌『SLAM』創刊号の表紙とメイン特集を飾った。Grandmama効果も手伝って凄まじい人気を誇り、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
 
 だが、良いことばかりが続かないのが世の常。当初は順調にいっていたLJとモーニングの関係性も、次第にエゴがぶつかり合うようになり、ついには空中分解の憂き目にあう。1995年にモーニングがヒートに、翌年LJはニックスに移籍した。

 ニックスでのハイライトは1999年プレーオフ、ペイサーズとのカンファレンス決勝第3戦の、試合残り時間5.7秒で決めた逆転の4ポイントプレーだろう。試合直後のオンコートインタビューで、イスラム教に改宗したLJが繰り返し「アッラー」、「アッラー・アクバル(アラーは偉大なり)」と口にし、インタビュアーのジム・グレイが怪訝そうな表情をしていたのが印象的だった。シーズン中であっても、ラマダンの断食は欠かさなかったという。

 将来のスーパースター候補と目されてNBA入りし、デビュー当時は期待通りのプレーを披露したLJだったが、持病の腰痛の影響もあり徐々に輝きを失っていった。そして2001年、腰痛の悪化により引退を余儀なくされる。まだ32歳の若さだった。

 数年前、久しぶりにLJのニュースを目にした。彼には4人の女性との間に5人の子どもがいるそうで、12万ドルの養育費未払いを原因に自己破産を申告したのだという。いろんな意味で豪快というか、ダメダメというか、いかにもLJらしいニュースに思わず顔がほころんだ。

文●大井成義
※『ダンクシュート』2017年3月号掲載原稿に加筆・修正。

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