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NBA

大物はハワード1人も、スミス、ブヤチッチなどコート外で話題を振りまいた脇役を輩出した2004年【NBAドラフト史】

大井成義

2020.10.28

ドワイト・ハワードはオールNBA1stチームに5度、最優秀守備選手賞に3度選出。昨季はレイカーズで初優勝を経験した。(C)Getty Images

ドワイト・ハワードはオールNBA1stチームに5度、最優秀守備選手賞に3度選出。昨季はレイカーズで初優勝を経験した。(C)Getty Images

 母のシェリルは、ハワードを産むまで7人連続で流産の憂き目に遭っていたこともあり、ようやく生まれた我が子の体調を懸念していたが、そんな心配をよそにハワードはすくすくと育った。中学1年の頃、紙に〝人生における7つのゴール〞というリストを書き、その中のひとつが、「NBAドラフトで1位指名される」というものだった。

 父のドワイトSr.は、州の警察官を務める傍ら、高校の体育教師も兼務しており、父が教えていた学校にハワードは入学する。そこには全米でも指折りのバスケットボール・プログラムがあり、恵まれた環境のなか、ハワードは稀有な才能を順調に伸ばしていった。最初はPGでプレーしていたが、身長が伸びるにつれSF、PF、Cとポジションも変遷した。

 高校最終学年の成績は、平均25点、18リバウンド、8ブロック、3.5アシストという驚異的なもの。数々の全米最優秀選手賞を受賞し、その名を全米に轟かせた。最終学年になる前から、高校の体育館には有名大学やプロのスカウトが大挙して詰めかけていたという。当時はまだ高校から直接プロ入りすることが可能であり、ケビン・ガーネットの影響を強く受けていたハワードは、高校から直接プロ入りすることを決意。
 
 もう1人の1位指名候補は、コネティカット大3年のPF/C、エメカ・オカフォー。ナイジェリア人の両親がアメリカに渡り最初に生んだ子で、本名はチュクエメカ・ンドゥブイシ・オカフォー。テキサス州ヒューストンに生まれ、子どもの頃にオクラホマ州バートレスビルに引っ越し、ベルエア高でジョン・ルーカス三世(元ウルブズほか)と一緒にプレーした。コネティカット大に進学すると、持ち前のディフェンス力を武器にひときわ堅実なプレーを披露。

 とりわけブロックショットの能力は傑出しており、他を寄せ付けなかった。2年連続でNCAAのブロック王に輝き、3年時には腰の故障に悩まされながらもチームをNCAAトーナメント優勝へと導く。トーナメントの最優秀選手に選ばれ、さらにはカレッジのコーチたちが選ぶ年間最優秀守備選手賞も受賞した。コネティカット大のチームメイトからは、ベン・ゴードン(ブルズほか)をはじめ5人がNBA入りしている

 オカフォーが持つもうひとつの際立った特徴が、その真面目さや勤勉さだった。スポーツだけでなく、学業でも一切手を抜かず、ファイナンスの学位を大学3年間で取得し、卒業資格を得たというのだから驚きだ。一般的に、トップアスリートの多くが勉強を苦手とするなか、これだけ高いレベルで文武両道を体現したオカフォーのような例は稀だろう。その勤勉さと真面目さは、彼のプレースタイルにも如実に反映されている。
 

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