1990年代、そんな夢のようなイベントが2度も計画され、どちらも開催直前までこぎつけている。シャキール・オニール(以下シャック)vsアキーム・オラジュワンと、マイケル・ジョーダンvsマジック・ジョンソンという、目も眩むような顔合わせだ。
もしそれらが実現し、成功を収めていたら、その後もオフの人気イベントとして、NBAファン垂涎のマッチアップによる1オン1が見られたのではないだろうか。ジョーダンvsコビー、コビーvsアレン・アイバーソン、レブロン・ジェームズvsデュラント……。想像しただけで目眩がしてくる。
今回は、幻に終わった2つのメガイベントに加え、実現したビッグイベントも一緒に振り返ってみたい。1992年に行なわれた、ジュリアス“ドクターJ”アービングvsカリーム・アブドゥル・ジャバーという、レジェンド中のレジェンドによるいぶし銀の対決。見ようによっては、ジョーダンvsマジック以上のインパクトを持つ顔合わせである。
〈1992年 ドクターJ vs ジャバー〉
引退したレジェンド2人が1オン1で火花を散らす
1991年11月7日、マジックはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)への感染と現役引退を突然発表し、世界中に衝撃が走った。
これを受けて計画されたのが、ドクターJvsジャバーの対戦だった。エイズ研究基金へのチャリティの一環であることを宣伝文句に行なわれたが、もちろんビジネスの側面もあった。イベントの正式タイトルは“The Clash of the Legends.(レジェンドたちの激突)”。2人の対戦をメインイベントに据え、その前にトーナメント戦が開催され、ジョージ“アイスマン”ガービンやリック・バリー、ネイト“タイニー”アーチボルド、コニー・ホーキンスら往年の名選手が参加している。
2時間番組のペイパービュー視聴料は19.95ドル、そのうち約6ドルがエイズ研究基金とマジック・ジョンソン・ファウンデーションに寄付された。ドクターJとジャバーの2人は20年来の友人で、このイベントのアイディアは、ジャバーがフィラデルフィアのドクターJ宅へ食事に招かれた時に思いついたという。
歴代6位タイとなる20シーズンをNBAで過ごした後、1989年に引退したジャバーはこの時44歳。一方のドクターJはまだ41歳ながら、一足先の1987年に引退している。
もしそれらが実現し、成功を収めていたら、その後もオフの人気イベントとして、NBAファン垂涎のマッチアップによる1オン1が見られたのではないだろうか。ジョーダンvsコビー、コビーvsアレン・アイバーソン、レブロン・ジェームズvsデュラント……。想像しただけで目眩がしてくる。
今回は、幻に終わった2つのメガイベントに加え、実現したビッグイベントも一緒に振り返ってみたい。1992年に行なわれた、ジュリアス“ドクターJ”アービングvsカリーム・アブドゥル・ジャバーという、レジェンド中のレジェンドによるいぶし銀の対決。見ようによっては、ジョーダンvsマジック以上のインパクトを持つ顔合わせである。
〈1992年 ドクターJ vs ジャバー〉
引退したレジェンド2人が1オン1で火花を散らす
1991年11月7日、マジックはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)への感染と現役引退を突然発表し、世界中に衝撃が走った。
これを受けて計画されたのが、ドクターJvsジャバーの対戦だった。エイズ研究基金へのチャリティの一環であることを宣伝文句に行なわれたが、もちろんビジネスの側面もあった。イベントの正式タイトルは“The Clash of the Legends.(レジェンドたちの激突)”。2人の対戦をメインイベントに据え、その前にトーナメント戦が開催され、ジョージ“アイスマン”ガービンやリック・バリー、ネイト“タイニー”アーチボルド、コニー・ホーキンスら往年の名選手が参加している。
2時間番組のペイパービュー視聴料は19.95ドル、そのうち約6ドルがエイズ研究基金とマジック・ジョンソン・ファウンデーションに寄付された。ドクターJとジャバーの2人は20年来の友人で、このイベントのアイディアは、ジャバーがフィラデルフィアのドクターJ宅へ食事に招かれた時に思いついたという。
歴代6位タイとなる20シーズンをNBAで過ごした後、1989年に引退したジャバーはこの時44歳。一方のドクターJはまだ41歳ながら、一足先の1987年に引退している。