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NBA

辿り着いた理想郷すら手放した問題児ウェバー。類い稀な才能が送った“物足りないキャリア”【NBAレジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.04.17

 その第5戦、ウェバーはシリーズ最多となる29得点を叩き出すと、チームも1点差の接戦を制しファイナル進出に王手をかける。しかし続く第6戦を落とすと、最終第7戦もオーバータイムの末に惜敗。第4クォーターとオーバータイムで積極的にシュートを打たず、合計4得点に終わったウェバーに非難は集中した。

 この試合で29得点と絶好調だったマイク・ビビーにボールを回し続けたウェバーの判断が、必ずしも間違っていたとは言えない。もし勝っていたら「チームプレーに徹することが勝利への近道」と信じる彼の姿勢も讃えられていただろう。しかし結果的に敗れたことで、彼のプレースタイルは消極的と批判され、「本当にエースの器なのか」との疑問が投げかけられた。
 
■ヒザのケガで輝きを失い、晩年はチームを転々

 雪辱を期して臨んだ翌2002-03シーズンは、またしても不祥事に水を差されてしまう。ミシガン大時代にNCAA規定に違反して金銭を受け取っていたことが明るみに出て、裁判での偽証も追及された。刑務所入りこそ免れたものの、10万ドルの罰金を言い渡され、大学時代の成績もすべて公式記録から抹消される屈辱を味わうことになる。

 コート上でもプレーオフのカンファレンス準決勝第2戦でヒザを負傷し、以降は出場できず、チームも大黒柱を欠いたことで敗退。2003-04シーズンも最初の50試合を欠場、さらには薬物規定違反と連邦大審院での偽証によって、合計8試合の出場停止を科せられた。

 ここまでトラブルが頻発すると、もはやサクラメントも安住の地ではなくなった。ヒザの手術後は動きも鈍くなり、高額契約に見合う働きができなくなっていたこともあって、2005年2月にはアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズへのトレードが決まる。

「一度でもファイナルに進出していれば、違う結果になったかもしれない。サクラメントには何の不満もなかったから残念だ」

 そう言い残し、ウェバーはNBAでの故郷を後にした。
 
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