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NBA

コビーやダンカンにリングをもたらした“史上最高の名脇役”オリー。その胆力の源は…【NBA名脇役列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.05.17

 では、なぜオリーはこれほどまでに、プレーオフで勝負強さを発揮できたのか?本人は「(プレーオフが行なわれる)5~6月に気温が上がるせいだろう。俺は寒いのが苦手だからね」と煙に巻くが、おそらくその性格も要因のひとつだと思われる。

 サンズ時代の“タオル事件”を別にすれば、彼は常に冷静でクールな男だった。「オリーが感情を露わにしたところなど見たことがない」とコビーは言い、ロケッツ時代には大黒柱のアキーム・オラジュワンに「お前は試合の勝ち負けに関心があるのか?」と真剣に訊かれたりもした。試合後にチームメイトと行動をともにすることはあまりなく、たまにブライアン・ショウ(元レイカーズほか)やチームスタッフと映画を観るくらい。

「大事な場面でシュートが決まれば最高だ。けれど、例え外したとしても、それが理由で家族やチームメイトから嫌われるわけじゃないからね」

 そんなこだわりのなさが、平常心の源となっていたのだろう。
 
■信頼性が高く、多才で、生産的な、史上最高のロールプレーヤー

 2003-04シーズンにはフリーエージェントとなってスパーズへ移籍。これは最愛の娘アシュリン(注:2011年に17歳の若さで死去)が難病を抱えており、自宅のあるヒューストンに少しでも近いチームでプレーしたいとの理由からだった。

 翌2005年のプレーオフも絶好調だったオリーは、3ポイント85本中38本を成功させた。ピストンズと対戦したファイナル第5戦では、後半とオーバータイムだけで21得点、さらには残り5.9秒で決勝の3ポイント。「俺のキャリアで最高のショット」と自画自賛する会心の一撃だった。

 これでチャンピオンリングは6個目。翌2007年にはそれほど目立つ活躍はなかったものの、7度目の優勝を味わう。NBA最多の優勝回数(17回)を誇るボストン・セルティックスの選手以外で、7度優勝したのはオリーだけ、3球団での優勝はジョン・サリー(元ピストンズほか)に次いで史上2人目だった。
 
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