【シューティングガード】
ドゥエイン・ウェイド
1982年1月17日生。193cm・100kg
カレッジ成績:65試合、平均19.7点、6.5リバウンド、3.9アシスト
NBA成績:1054試合、平均22.0点、4.7リバウンド、5.4アシスト
マーケット大出身者で最高の選手であり、押しも押されもせぬ“ミスター・ヒート”。高校ではそれほど有名な存在ではなかったが、大学時代に急成長。2003年、マーケット大のドラフト指名では最上位となる5位でマイアミ・ヒートに入団すると、2年目に平均24.1点でオールスターに出場、さらに3年目はファイナルに出場し平均34.7点と大暴れ。ヒート初優勝の原動力となってファイナルMVPに輝いた。
その後も08年の北京五輪ではチームトップの平均16.0点をあげて金メダル奪回に貢献。翌09年は30.2点で得点王に輝くなど、NBA屈指のスーパースターとして君臨した。12、13年はマイアミに誘ったレブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュとともに、さらに2度の優勝を重ねた。
16年に故郷シカゴのブルズへ移籍、17年にはクリーブランド・キャバリアーズでレブロンと再タッグを組んだが、最後はヒートに戻って引退した。現在は、現役時代は縁もゆかりもなかったユタ・ジャズの経営陣に参画している。
【スモールフォワード】
ジミー・バトラー
1989年9月14日生。201cm・104kg
カレッジ成績:106試合、平均12.0点、5.5リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:633試合、平均17.4点、5.2リバウンド、4.0アシスト
精神的に非常にタフなのは、子どもの頃に実の親から見捨てられ、友人宅を転々とした過酷な経験のゆえか。そのような苦労を重ねたのちジュニアカレッジに入学、2年時からマーケット大へ転校し、2011年にブルズのドラフト30位指名でプロ入りした。
ブルズではまずディフェンダーとして頭角を現し、徐々に攻撃面でも力をつけ、14-15シーズンには平均20.0点でMIPを受賞。同年から4年続けてオールスターに出場し、16年にはリオ五輪メンバーとして金メダルも手にした。
首脳陣との確執などもあって17年にミネソタ・ティンバーウルブズへ放出されるが、ミネソタでも、その後トレードされたフィラデルフィアでも定住できず、トラブルメーカーとの評価が定着しかけていた。それでも19-20シーズンに流れ着いたヒートが安住の地になる。同年にファイナル進出の立役者になると、昨季もリーグトップの平均2.08スティールを決め、5度目のオールディフェンシブチーム入りを果たした。
ドゥエイン・ウェイド
1982年1月17日生。193cm・100kg
カレッジ成績:65試合、平均19.7点、6.5リバウンド、3.9アシスト
NBA成績:1054試合、平均22.0点、4.7リバウンド、5.4アシスト
マーケット大出身者で最高の選手であり、押しも押されもせぬ“ミスター・ヒート”。高校ではそれほど有名な存在ではなかったが、大学時代に急成長。2003年、マーケット大のドラフト指名では最上位となる5位でマイアミ・ヒートに入団すると、2年目に平均24.1点でオールスターに出場、さらに3年目はファイナルに出場し平均34.7点と大暴れ。ヒート初優勝の原動力となってファイナルMVPに輝いた。
その後も08年の北京五輪ではチームトップの平均16.0点をあげて金メダル奪回に貢献。翌09年は30.2点で得点王に輝くなど、NBA屈指のスーパースターとして君臨した。12、13年はマイアミに誘ったレブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュとともに、さらに2度の優勝を重ねた。
16年に故郷シカゴのブルズへ移籍、17年にはクリーブランド・キャバリアーズでレブロンと再タッグを組んだが、最後はヒートに戻って引退した。現在は、現役時代は縁もゆかりもなかったユタ・ジャズの経営陣に参画している。
【スモールフォワード】
ジミー・バトラー
1989年9月14日生。201cm・104kg
カレッジ成績:106試合、平均12.0点、5.5リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:633試合、平均17.4点、5.2リバウンド、4.0アシスト
精神的に非常にタフなのは、子どもの頃に実の親から見捨てられ、友人宅を転々とした過酷な経験のゆえか。そのような苦労を重ねたのちジュニアカレッジに入学、2年時からマーケット大へ転校し、2011年にブルズのドラフト30位指名でプロ入りした。
ブルズではまずディフェンダーとして頭角を現し、徐々に攻撃面でも力をつけ、14-15シーズンには平均20.0点でMIPを受賞。同年から4年続けてオールスターに出場し、16年にはリオ五輪メンバーとして金メダルも手にした。
首脳陣との確執などもあって17年にミネソタ・ティンバーウルブズへ放出されるが、ミネソタでも、その後トレードされたフィラデルフィアでも定住できず、トラブルメーカーとの評価が定着しかけていた。それでも19-20シーズンに流れ着いたヒートが安住の地になる。同年にファイナル進出の立役者になると、昨季もリーグトップの平均2.08スティールを決め、5度目のオールディフェンシブチーム入りを果たした。