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NBA

コビー・ブライアントが最後まで貫いた“人を思いやる心”。事故当日にシャックの息子と一番の親友に送ったメッセージとは【NBA秘話|後編】<DUNKSHOOT>

大井成義

2022.02.18

シャック(左)と対立したこともあったコビーだが、その息子シャリーフ(右)とは親しい関係にあった。(C)Getty Images

シャック(左)と対立したこともあったコビーだが、その息子シャリーフ(右)とは親しい関係にあった。(C)Getty Images

 シャリーフが生まれたのは、コビーとシャックが初優勝を遂げた年の1月。生まれた頃からコビーはすぐ近くにいて、まるで親戚のおじさんのような存在であり、ジジとも彼女がまだ小さい頃から一緒にバスケットボールをプレーして遊んだ仲だった。

 昨年4月、スポーツ総合サイト『Bleacher Report』にシャリーフのインタビュー動画が掲載され、そこで事故当日の詳細が明かされている。

 マンバ・カップ・トーナメントシリーズの2日目に、シャリーフの妹、すなわちシャックの娘ミアーラのチームと、ジジのチームの対戦が組まれていた。コビーはその前日土曜日も、ミアーラの試合を観に会場へ足を運んでいたという。

 日曜日の朝、シャリーフは妹とジジの試合を観るため、親友のジョシュ・クリストファー(アリゾナ州大/現ヒューストン・ロケッツ)を誘い、途中実家で母を拾って、ロサンゼルスのダウンタウンから車で1時間弱の距離にあるマンバ・スポーツアカデミーへ向かおうとしていた。
 
 助手席でスマホを見ていたクリストファーが、突然「コビーとジジがヘリコプターの墜落事故に巻き込まれたらしい!」と声を上げた。だがシャリーフは、「悪い冗談に決まってる、数時間前に本人からメッセージが届いてるんだから」と取り合わなかった。

 実家に着き、母が電話で確認すると、事故は現実であり、試合はすべてキャンセルされたという。シャリーフは表へ駆け出して泣き崩れ、クリストファーといつまでも泣いていたそうだ。

 シャリーフはその後、父シャックの母校であるルイジアナ州大に転校し、再起を図るべく奮闘している。彼のスマホの待ち受け画面は、コビーから最後に受け取ったインスタグラムのメッセージ画面だ。それを毎日何度も目にすることにより、モチベーションにしているのだという。
 
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