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NBA

【NBAスター悲話】デイビッド・トンプソン――“スカイウォーカー”と呼ばれた天才スコアラーが味わった転落のキャリア【前編】

大井成義

2019.12.02

■ギネスブックにも記載された122㎝という驚異の跳躍力

 1954年、アメリカ南部の田舎町ノースカロライナ州シェルビーにトンプソンは生まれた。7人の姉と3人の兄。たったひとつのベッドルーム。貧困と人種差別の嵐に見舞われるなか、木に打ち付けられたリングと赤土のコートが彼のすべてであり、バスケットボールこそが明るい未来を切り開くために手にできる唯一の鍵だった。そして神はトンプソンにその鍵を与えた。地獄への鍵と一緒に――。

 高校時代、州のオールステイトチームに2度選出され、3年時には最優秀選手にも選ばれた。関係者の注目を一身に浴びるなか、トンプソンは地元ノースカロライナ州大に進学する。全国から集まるエリート選手を見慣れている大学のコーチングスタッフですら、彼の驚異的な身体能力には度肝を抜かれた。特にその並外れた跳躍力に関しては、数多くの逸話が残っている。

 大学1年の時、噂を聞き付けたイギリスのギネスブックが彼の跳躍力を測定しにやってきた。トンプソンは垂直跳びで42インチ(約107㎝)をマーク、当時の世界記録に認定された。その数年後には48インチ(約122㎝)まで記録を伸ばしている。
 
 最も有名なエピソードは、バックボードの上に置いたコインをジャンプして取った、というものだろう。彼の身長は、プロの時点で公称193㎝。後に自ら190㎝だったと告白しているが、当時のチームメイトは187~188㎝だったと証言している。バックボードの上の高さが約4m、大学時代は身長が若干低かったことを考えると、これは驚異的なエピソードである。

 トンプソンの有り余る才能は大学で大きく花開き、一躍全米にその名を知らしめることになる。NCAA規定で1年時は試合に出られなかったものの、2年の時にはノースカロライナ州大をレギュラーシーズン全勝(27-0)に導いた。当時カレッジではダンクが禁止されていたのだが、トンプソンは持ち前の跳躍力を生かして“アリウープ・レイイン(リング間近でパスをキャッチし、そのままリングにボールを落とす。彼のトレードマークとなった)”というシュートを完成させ、相手にそれを止める手だてはなかった。そして迎えた3年目、バスケットボール人生のハイライトを迎える。
 

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